「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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年賀は口説きのテクニック、だった?

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ともあれ♪「一月一日」(歌詞は省略)
http://www.geocities.jp/foolscaps_circles/1gatsu1tachi2

クリスマス・カードも暑中見舞いもそうにはちがいないが、
小学以来、この年賀状という風習に紛れて、
私はけっこう「タイプ」の娘にちょこちょこ出したものだった。

これで、けっこう「距離」がちぢまったものである。
今なら50円、バカ安の効果ではある。
ただし、
内容は、それなりに印象効果を考えるので、
それなりに労力はかかっていた。

学生時代までは、
そういう手管もあって、
ついでに適当に人間関係性をつないでおく趣味があったので、
年賀状は習慣のうちではあったが、
あるころから、すっぱりやめた。

正月というものが、
家族とともにありうるもので、
したがって、意識の上で、
家族というものの完全解体が生じて以来である。
とともに、時代が何もめでたくもなく、
手管を使う相手もいなくなって以来であった。

ただ、ちかごろ、
別の感覚から、
「♪終りなき世の、めでたさ」と、
「門松や、冥土の旅の、一里塚」とが、
けっこうアンビバレンツに符合しつつ、
手管の相手は、もはやE-mailのほうが効果的な時代なのだが、
それでも、手紙というものの、
あるいは筆跡というものの、存在感を、
たとえバブルだとしてももう一度、、
という気がしないでもなくなってきた。

あるいは地球全体が、
猛スピードのバブルになっているのかもしれない。

とりあえず、
あけましておめでとう、とか。