「いじめ」と「誹謗中傷」と「資本主義」と「表現の自由」と「基本的人権」と「権利義務」・・
「虐め・苛め」という二つの漢字をあてる。
「誹謗」は「悪口・非難・批判」であって、
「中傷」は「根拠のない名誉毀損」だから、いっしょにするべきではない。
「資本主義」は経済の自由競争原理であるから、
「表現の自由」は、「誹謗」を伴う権利である。
「基本的人権」とは、権利であるので、用いないこともできる。
ここで、
生存は、「競争原理」そのものであるから、
同時に、前提「不公平」の出発であるから、
ついで、「個性」の多様性は必然であるから、
「苛め」や「誹謗中傷」を、
それ自体として否定するならば、
資本主義と基本的人権にもとづく近代体制を全否定することになる。
ただし、
近代国家は「国民主権」による「抽象・流動概念」であるから、
代議士や公務員ほか、
国家認定の「資格者(医師・弁護士などほかのあらゆる免許取得者)」は、
「国民・市民」を主権者とする前提で、
あらゆる矛盾や人権侵害を監視しつつ、
「国民」に奉仕しなければならない。
「親方日の丸」の保障は、その意味以外にはない。
・・・
以上の流れでかんがみるに、
「いじめ」られて「中傷」されて自殺に至った子供の姿は、
「子供」である限りにおいて、
ここでも念のため、
ただ今「オリコン」がやっている「傷ついた一言」アンケートの「一言」を見るに、
こんな程度のものは、私が子供の時は「日常会話」であって、
いくつかは私もヤラれてましたね。。(ついでに親兄弟親戚からも!)
ただ今「オリコン」がやっている「傷ついた一言」アンケートの「一言」を見るに、
こんな程度のものは、私が子供の時は「日常会話」であって、
いくつかは私もヤラれてましたね。。(ついでに親兄弟親戚からも!)
よって、
それでも「撥ね返す」エネルギーを、
すなわち、「生きたい」という欲望を育てるようにこそ「監視する義務と責任」を、
1人の教員が、親が、子を自己責任の観点から対処していれば、
子はそう簡単には自殺などしない。
・・・