見て見ぬふりは「卑劣」か?ないしは「非難」されるべきか?-高みの見物43^^
見たものが「犯罪」であった場合、かつ「被害者」がいる場合のことでせうが、
通常この国は「見ざる聞かざる言わざる」の自己保身文化ですから、
むしろ問題は、行政や管理者の責任としてあるはずの「事件」を、
すり替えて、「一般」人を非難するのは当たらない。
要は「対岸の火事」はあくまで「対岸」感覚であって、
「此岸」に来れば普通は動く。
ついで、「被害」について言えば、
さて、どの程度の「被害」であって、
もうひとつ、「被害者」が抵抗している場合としてない場合・・
ついで、被害にあっている当事者との関係・・
ところでさて、列車内「強姦」事件。。
私は昔から、武器で脅さないかぎり、
1人で1人をそう簡単に「強姦」できるものかが疑問であり、
して、武器で脅されたとしても、
縛られでもしないかぎり、
その途中で我を忘れている相手をやっつけるすべはあるはずと・・
すなわち、
かつて簪(かんざし)は武器であり、
武家の女性は短刀を所持していたし、
ないしは、男にしても一人一人が、
銃刀法に触れない「武器」所持が必要なのではないか?
つまり、
自分の命と権利はまず自分で守る、という権利意識があれば、
本質的には「敵」かもしれない他人に助けられることを期待しないし、
「抵抗・防衛」の行動にこそ出るはずであって、
列車内「強姦」事件の、一番の責任はJRであり、
二番目は「本人」ということになる。。
リスクマネージに関わる人件費節約の、何でも乗客のマナーに転化するJRと、
「Help!!」の意思表示をしない当人、
この前提を省いては乗客を「卑劣」と言うわけにはいかない、
ではないかぃ?