絶対ヤリたくない裁判員制度の犯罪性--ちぃーとマジメに。。
乞う迷湯が主導したというその目的が、
「司法制度改革」の一環として、国民が刑事裁判に参加することにより、裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼向上につながる。
という程度の、小学社会程度の発想のものにすぎない以上、選任(それも抽選で)されると、
いわゆる18条の「苦役」なんぞを検討するまでもなく、
憲法の保障する、
基本的人権そのものと、そこから派生するところの、
思想良心・職業選択の自由権、
したがって、「裁判員法」それ自体とそれを運用・執行する行為は、
刑法第223条 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。 2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。 3 前2項の罪の未遂は、罰する。
と、なるべきでR。
唯一、
「裁判員制度」を「公共の福祉」と認定すれば、
上記「基本的人権」関連の諸権利は、「制限」はされ得るが、あくまで以下の基準による必要がある。。
「公共の福祉」の意味については古くは争いがあった(詳しくは公共の福祉の記事参照)。当初は人権の外にある社会全体の利益を指すと考えられていたが(一元的外在制約説)、この解釈に基づくならば公共の福祉を理由としていかなる人権をも制約することが可能になってしまうため、現在では「人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的衡平の原理」として考えられている(一元的内在制約説)。いわば、人権同士が競合する場合には、当然にそれらの調整が図られねばならない、という当然ともいうべきことのみを規定していると理解するものである。公共の福祉の意義について、より広い解釈を持ち込むならば、それを理由として人権の制限が正当化されることになるとして、人権擁護の観点からその内容の解釈には厳格であるべきというのが通説的見解である。(Wikiより)
万一、「一元的外在制約説」を採ったとしても、
裁判員になりたくない考えが70%である以上「社会全体の利益」ではない。
よって、断じて罰則つきの「裁判員義務」化などはありえない。
こういう状況下で、
反対する法専門家は、違憲立法審査にさっさと持ち込むべきでRO。
世界的には近代国家である限り、
兵役拒否権すら「思想・良心・信仰」にかかる基本的人権として配慮されてるってーのに
裁判員呆はその点の免除明記すらない。
ただし、
参加選択にあたって自由判断権が保障されるなら、
司法の密室性打開の趣旨ではOKではありませう。。
ただし、そのバーイ、
民事を含めたすべての裁判にすべきでせう。。
ここで、こそ、
裁判が身近になって、
ハッキリ言って、裁判官は不要ってより楽チンになるでせうから、
司法への信頼ってーより、
相対多数の私刑と化すでせう寝ぇ。。