「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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お稲荷さんと弁天さま---スサノオの尊の「血族」「神」談義(1)

お稲荷サン=うかのみたま、弁天サマ=いちきしまひめ、

らしく・・

両二神とも、スサノオの尊の子でアルらしいが、

さて、

私が仏教やらキリスト教を通り過ぎて、

漫画や宇宙論やらSF映画やらと親しんで、

結局は奇妙な「縁」がらみで奇妙な事態と遭遇しはじめたことから、

断片的ではあるし、意志外でもある奇妙な、

「能力」とも言い切れないところの、

むしろ「出来事」としか言い得ないことの発生から、

日本の「神々」を、これまた断片的に「研究」することになった、

その流れのなかで、

ありゃ、ともかくも「最高神」はスサノオの尊として変現している、


という現在的結論に至っている、

ので、

その構造から世を理解するのが論理的にも整合度が高い。。


ので、

以後、仏教は無論、キリスト教神社神道もまた、


その他すべての「宗教」なるものへの「見切り」をつけることとなった。。


で、あるから、

もちろん、「スサノオの尊」を特定形態存在として賛美するのでなく、


社や団体に所属、または形成するのでもなく・・・


ただ私が私でありつづける以外はないのであった。。


で、

まずは「お稲荷さん」について---。。

麦や粟稗など「雑穀」が見直されてはいつつも、

それがかつての貧乏人の食糧でありつつ、

揚げ豆腐や高野豆腐やがんもどきやら麦芋粥やらの、

「庶民」の食糧が、仏教系統からの発明品でありつつも、

元はスサノオの尊系統の産物として、

いわば水田=水稲文化を否定しているかのような、

と、すれば、

稲田姫や稲荷の守る「稲」とは何でありつつ、

たとえば熊野の亀太夫が出雲の餅献上に際して罵倒する、

その「神意」は何であるのか、

もともと、稲自体は「水稲」のことではなく、

よって「我田引水」争いとは無縁でありつつ、

と、なると・・・

コメは精白するべからず、というのが「神意」ということになる。。

が、

日本のことを「葦原の瑞穂の国」の「瑞」が水と同一視された結果、

てかてかてか灯油、

もともと水分には恵まれた風土ゆえ、

赤米も黒米も、放っておいても「みずみずしい」ものを、

生産量と質を上げるために人為的に水田を作り、

ついでに食感のために精白して養分のほとんどを棄て去った、

「人間文化」への否定と考えられる。。。

つづきは、弁天さまについて。