「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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ゴクドーとゲドーの現代普遍性のちゃんちゃかちゃん

極道はムロン、語源としては仏教用語で「道を極める(ないしはこの上ない道)」で、

外道もムロン、「道を外れる(ないしは外の道)」でRわけなのだがサ、

やくざサンがどうして極道ということになったのか、

ひとつには、たとえば12月のことを「極月」と呼ぶ古語の、

「月を極める」ではなく「(一年の)極まった(終りの)月」の意の類として、

「極まった(成すすべのない)道」程度の意として使われはじめたのではナカローカ?

もともと体制身分はずれの「侠客」ないし「町奴」として、

「対体制強者」感覚と、

同時に「道楽の極み(伊達・粋)」ふうの趣きを持っていた者のことらしく、

その歴史を「気どる」ためにキンダイのやくざが名乗ったとゆーことらしいが、

ソレはソレとして・・・

そうするってーと、ここでは、

ツマリ、の究極、の畢竟、・・

「道」の意こそがモンダイなのでRRRが、


これまた儒家道家では趣旨が異なり、

ただし、

「首の通り」という構成からは、トップのルートには違いない。

しかし、

このニャポンでは道家より儒家の解釈が圧倒的優勢でありつつ、

本来の意味を歪曲してご都合的に移入したモノだカラ、

現体制トップの固め倫理にナルので、

士農工商」外れの「極道」は世間的には「外道」ともなり、


しかしまたドウやら、

「極道」の世界での「外道」とは、

伊達でも粋でもなく、

むしろ体制側と同類の体制を作りつつ、

「弱者を挫く」輩のことでRようだカラ、

やはりつまりのケッ局は、

「極道」は一種の「脱俗」とも言いうることになり、


旅がらす」や「無宿者」や「裏街道」という定番ともなる。。


てーと、

何のことはない、「仏道」の範疇であるわけで、

ところが、

「極道」の背景は「神道」なのでアルようだカラ、

さてさて、・・

話としてはややこしい。。

「仏を支える四天王や十二神将」という視点からは可能ではアルが、

もう一つ、

天照大神」は「大日如来」でもあり、

して、「大日如来」は同時に「不動明王」ともなり、

不動は愛染明王と対のごとくにもなっている。。

ほかほか・・はマタとして・・

さて3、


いったい、神と仏は一体なのか、と湯ー概念に至りつつ、

単純には日蓮の「教機時国序」でヨイのだが、

つねづねモンダイは「教機時国序」の判断そのものでアリつつ、


カタチを気どるサギ自大の連中の存在でRRR。


てなこって、

ゴクドーとゲドーはそれ自体が概念変化しつつ、

宇宙真理としてのパリティ状態で、

ただT.P.O.によるカンタンな見分け方は、


損得抜きや身分外れの「侠(伊達・粋・女のバーイは「きゃん」)」のあるなしでせう寝。


以下、付録どす。。