「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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おまた・・・実戦問題「三四郎」・設問七の考え方と解答例

( 以前のページを続けて参照するばやいは上↑の「総合現代文」の書庫をクリックすると一覧が出るので画面が増えすぎない。)

問七(一)【[E]この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。】について、文脈から具体的に分かりやすく説明せよ。

<考え方>
まずは「この言葉」の趣旨と構造を取り出す。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中のほうが広い」「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって〔[イ]贔屓(ひいき)の引倒し〕になるばかりだ」

--前半の言葉の、熊本<東京<日本を「広い」という概念で比較した具体内容を考えてみる。たとえば地理的にみると、東京<日本は問題ないが、熊本>東京ではないか・・となるから、どうやら髭の男は地理的なことではなく、人や文化の多様性・その数の多さを想定していることになる。
して、突如として、日本<頭の中という比較に至って、思考・学問という抽象化した「広さ」を提示している。
そこから、「囚われちゃ駄目だ」と言うわけだから、熊本文化<東京文化<日本文化の枠組みを拡大してゆく中で、固定観念や先入観に捉われない発想・思考の大切さを述べている。
同時に、熊本人・東京人・日本人という立場にこだわった有利・不利の考えではない、いわば比較・対象化する客観的な判断の重要性を説いている。
そして、当時の背景として、「ニッポンチャチャチャ!」の「国粋主義」また「忠君愛国」思想がア・プリオリに底流をなしていることを想定して考える。

つまり、「この言葉」の前に、
「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(な)ぐられる。悪くすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡(うち)で生長した」
という経過があり、「擲(な)ぐられる」「国賊取扱にされる」「空気」という表現から、三四郎は、「空気」を読みすぎたってか、身の安全のために「空気」を読み従うことに疑問はなかったことになる。
以上から、「真実に熊本を出た」「熊本にいた時の自分は非常に卑怯であった」の内容を説明する。




問七(二) 髭の男の言葉に対する上記[E]の心境にも関わらず、特に名前を聞かなかった三四郎の判断・心理を全文から推測した上で、君ならばどうしたか、その理由を明確にして400字程度で述べよ。

<考え方>
たしかに三四郎は、髭の男の言葉の内容に衝撃を受け、目からウロコが落ちた自分を認識し、東京へ学問のために向かう自分の期待可能性に元気づけられているのだが、まず最後の一文中に、「東京へ着きさえすれば、この位の男は到る処に居るものと信じて」とあるから、髭の男の存在は「東京では当たり前の、並みの、あくまでone of them」だと考えたようである。これが基本。
すなわち、この髭の男の個性ではなく、東京人一般の特徴だと考えている。

同時に、ここでもまだ髭の男への先入観が尾を引いていると考えられる。すなわち、「先のない」「三等車人間」「中学教師」から始まって、・・・「日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない様な気がする」とまで
微妙に変化しながらも、「正体不明」へのアプローチに積極性はなく、放置・先送りするのが「教育を受ける者の趣味・品位」だという意識も変わっていない。

以上を指摘できれば、それを前提に、それらの三四郎の判断・心理に対応する形で、その是非を考えて(ここが「理由を明確」に当たる)、自分なら髭の男の名前を聞くか否か、その結論はどちらでもお構いなし。(ただし、余りに「常識的」な判断は評価されない。)むろん、結論から開始しても、結論で締めても、どちらでもよいが、ここでは三段(ないし四段)の論構成の流れが問われる。
・・・この設問形式で問うのは、三四郎の判断・心理要約における「文章表現力」と、自己主張根拠の論証力である。本文記述をそのまま引用ばかりしていると、400字では足りなくなってしまうことに注意。

<問七(一)の解答例>

三四郎は、「頭の中が広い」「囚われるな」との言葉を聞いて、勉学のために熊本を離れる自分が、単に地理や身体現象ではなく、狭い因習・固定観念からの離脱という精神の自由に向かう気がした。それを「真実」と位置づけ、並行して、熊本時代の自分が、国粋・愛国の「空気」を客観視することなく身体生命の安全を優先して疑問なく過ごしていた状態を、学ぶ者として不適当な狡さだと反省したということ。

・・・ここでは「学ぶ者」にとっての「真実」の具体性を基本として、固定観念や身の安全志向からの離脱=精神・学問の自由のあり方に目覚めた、その比較内容がポイント。

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<問七(二)の解答例>

上記の<考え方>で、ほぼ出来上がり。よって省略。

・・・このケースは書く-添削を受けるの繰り返しで、文章表現力をつける練習が肝心。「思う」は極力使わない。それは根拠表示につながらないので、読む側は、あっそう・・ふーんで終わってしまう。断定しきれない内容の場合は、「ではないか」「考えられる」せいぜい「思われる」とすれば、「なぜならば」につながってゆく。しかし、先ずは「である」「考える」の断定形式で、「なぜならば・・」へ即つながる表現法と、「たとえ・もし・・としても」「たしかに・・ではあるが」という抑揚的批判の構造を基本に練習がよい。
ついでに補足しておくと、この小説への思考経路は、文系学部のみならず、主に医療系AOで問われるものである。その必然理由は、また後日。

で、配点は、問三から六は各10点=40点。問七(一)は15点、(二)は25点。合計100点満点。

ほんで、付録は「東京」関係の歌曲を、
のつもりだったが、
また後日のページにて。。