「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「外交」についての一般論--「国際」と「グローバル」・・

」という以上「」があるわけどすね。。
 
して、
「内」はニャホン語では、
」でもあり「裡・裏・中」でもあり、
大阪弁では「うち=自分」のコトであり、
 
さて、
「外交」という以上は、
「家=内」以外の相手との交渉・交際のコトで、
 
ところで、
ニャホン語ではネーションを「国家」とし、
(・・・「国」と「家」との「漢語」的概念は、以下を参照。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6)
 
ともあれ、
「国=家族共同体」として、
特に「島国」の特性から海の向うを「外国・外人・・」と、
何だか和姦ねー、じゃねー、分かんねーママに、
位置づけて来た。。
 
その根底には、
天皇=父」の絶対性がありつつ、
相似形としての「家長制度」があり、
・・・とゆー認識なのだが、
 
さて今や、
「個」を基準とする前提において、
「国家」はすでに理念的に存在し得ない、
はずなのだが、
 
それでも「存在」しているという事態は、
単純に「反近代理念」とゆーコトになり、
・・・以下、後日のHPでとして、
 
現<「国」際情勢>とは、
「国・家」それ自体の「平和」や「信頼」「団結」なき前提での、
にもかかわらずの「内-外」形式「仕分け」にすぎないカラ、
本来的には「内」も「外」もあるモンか!、
 
で、
地球規模の、つまり「地球国」になったとしても、
次にはエイリアン、
つまり「宇宙」規模の「外交」が待ってイル。。
 
のダカラ、
 
ただ今の諸「国家」の諸「長」たる者は、
一般普遍の「人間生存学的哲学倫理」を、
自ら実践しつつ話し合いつつ調整するのが、
「あり得べき」資質であって、
実は「内も外もあるもんか!」
これがこそ「全て」の基準でせう、
寝。。