「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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右からも左からも歌われる♪「歩兵の本領」

歩兵の本領(作詞:加藤明勝 作曲:栗林宇一)
またはアムール川の流血や(作詞:塩田環 作曲:栗林宇一)
またはメーデー(作詞:大場勇)



■歌詞■
<歩兵の本領>
1.万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く
  大和男子(おのこ)と生まれなば 散兵戦の花と散れ
2.尺余の銃(つつ)は武器ならず 寸余の剣(つるぎ)何かせん
  知らずやここに二千年 鍛え鍛えし大和魂(だま)
3.軍旗をまもる武士(もののふ)は すべてその数二十万
  八十余ケ所にたむろして 武装は解かじ夢だにも
(以下4-10番は省略。

アムール川の流血や」の歌詞は省略。
ロシア侵攻と一高自治の関係に無理のある歌詞なりに、
いかにも「青っぽい」「良し悪し」の歌です。

なお「メーデー歌」の歌詞はJASRACの管理のため省略。
(聞け万国の労働者~で有名です。)

本歌は、一高寮歌であるそうで、
1900年7月に、ロシアが南下途中、満州黒龍江で中国人に対して行なった、
大量虐殺「アムール川事件」に対して、
明治34(1901)年ロシアへの危機意識を歌ったらしい。

それがのち、歌詞を変えて陸軍幼年学校や士官学校で歌いつがれるようになったらしい。
と、同時に、大正9(1920)年5月2日、3年前に起こったロシア革命に刺激を受け、
日本初のメーデーが開催された時にまたまた歌詞を変えて歌われたという。

私が、この歌曲を覚えたのは、高校生の時、
「歩兵の本領」としてであり、父親が酔って歌っていたことからである。
何がきっかけだったのか、現代史を学んでいるなかで、
ついで、親の「歴史」を、ふと知りたくなった年頃であり、
自らの進路に関する交渉をする流れとして、
めったにない「ご機嫌」の機をつかんで、しかし、意外にまじめに、
あれこれ父親の戦前の事柄について話し始めた、その過程で、
この歌が出たのであった。

私が、飲兵衛で暴力的で反家庭的な父親について、
見方が変わったのは、高校入学時の「ある行為・仕草」であることは、別のページに書いた。
そこから、家族・姻戚ともどもへの「客観化」が始まったのだが、
この歌を聞いた、そのおりに、父親の育ちとその後の「右翼修行」的経過も知った。

ふーん、と、
ついでに、第二次大戦に至る、日本の立場の「正当性」見解も、
学校のテキストにはない「外史」的流れとして、興味深いものだったが、
さて、私自身はこのころ、妙に明治の時代にハマっていたことを思い出す。
漱石の影響でもあろうが、絣の着物に下駄ばき、
という格好を常にではもちろんないが、大学を通じて、実際にしていたのであった。

だからと言って念のため、バンカラ気取りでもなく体育会系でも、
そして思想的に「右翼」というわけでも民族的国粋でもない。
ではないが、感性的には、「戦争」というものの、
ないしは、「討ち死に」というものの、
あるいは「命をかける」ということの、
日本史、世界史場面の連続性については、
これ、思春期の重大な課題であったことだけはたしかなようである。

のちに、メーデー歌が、同曲であることに、
ずいぶん長い間、似てはいるけども気がつかなかった、のだが、
マルクスの「戦闘的宣言」以下を学ぶことになって、
もちろん、私は「左翼」ではないが、
これ、同曲が、「左右」から、歌詞を変えて歌われることの、
共通「溝」に、「本質性」のありかが見えたようでもあった。

ここに、ダブル・トリプル…Xスタンダードの合体としてある人間の、
しかし当時は「引き裂かれたジレンマ」として、実は自分でもまともに「困っ」ていた、
極めて象徴的な、これ「青春の歌」なのです。
その「困惑」を思いつつアレンジしてみると、少しはモダンっぽくもなったでせうか…
というところです。