今度はまじめに♪「結んで開いて」
♪「結んで開いて」又は「見わたせば」(作曲:ジャン・ジャック・ルソー)
http://www.geocities.jp/foolscaps_circles/musunde7.midパターン1(小鳥のさえずり入り)
http://www.geocities.jp/foolscaps_circles/musunde1.midパターン2(スタンダード)
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詞は三種類あります。
■歌詞
むすんで ひらいて てをうって むすんで またひらいて てをうって そのてを うえに
むすんで ひらいて てをうって むすんで またひらいて てをうって そのてを うえに
見わたせば あおやなぎ 花桜 こきまぜて みやこには みちもせに 春の錦をぞ
さおひめの おりなして ふるあめに そめにける (作詞:柴田清熙)
みわたせば やまべには おのえにも ふもとにも うすきこき もみじ葉の あきの錦をぞ
たつたひめ おりかけて つゆ霜に さらしける (作詞:稲垣千頴)
前者が春の、後者が秋の情景で、 いずれも姫が主人公という感覚は、さて? しかし、それなりに不思議にはまっておりますね。 現在の「結んで開いて」は、子供のリラックス体操用のようですが、 これもこれなりに、以下の趣旨でもありえます。 <参考★ルソーの「教育論」断片> 生徒をその年齢に従って取り扱うべし。 自然は、子供が大人になるまでは子供にさせておきたいのである。 若い博士や年取った子供は不自然である。 人生の各時代・状態にはそれぞれに適応した完全性と固有の成熟がある。 成人があるとすれば成童が考えられる。 教育者は、子供の能力の進歩に従い、素質の覚醒を窺いつつ、 正確に、漸進的に歩調をあわせるべきである。 すなわち、教育は自然の運動を再現せしめねばならぬ。 エミールへのカリキュラムは、従って、以下の如くである。 2才まで=体育 12才まで=感覚の教育 16才まで=精神の教育 20才まで=心と理性の教育 20才から=道徳的自由と徳の教育 ということで、ルソーが作曲した曲には、本人は歌詞をつけていないようですので、 曲の本来の趣旨は不明確ですが、2種類の編曲を試みたなかで、 上記の理念とともにでありそうな感覚は生じます。 いわば、自然=素朴感情的・性善的、理想主義的な思想の「雄」として、 一方の自然=利己欲的・性悪的、現実合理強制主義的な思想の「雄」ホッブス、 そして、自然=理性的・性善的でありながら「違反者」を想定する現実矛盾合理対応主義の「雄」ロックと、 近代の、いわば「三つ巴」のひとつを形成するところの、 しかも、基本的には「理念中の理念」というべき位置を有しています。 さて、フランス革命を呼んだルソーか、アメリカを産んだロックか、 あるいは全体主義ないし共産主義にもつながるホッブスか、 これは、まさに現代の課題そのものでしょう。