「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「旅」と「お水」

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そもそも「人生」「旅」なんてーことが、、
「古典」になってしまったようである。

ついで、「お水」がメジャーになった時、
「シロクロ」が「グレー」になった。

零細出版社にコネがついた時、
日本共産党の暴露本で、その零細出版社はホクホクだったのだが、
突然に注文が止まって、
あとはまた零細に戻りつつ、
で、
私が「芸能人本」を出せば売れますよ、
と、まさに「先駆的アイデァ」を言ったのだが、
(事実、数年後、爆発的に流行となった)
零細出版社の営業責任者「サイトーちゃん」は、
「儲けるためなら出版なんどやらない」と、
ワーォ!! これは哲学的でした。

ついで、
「女子大生お水」が社会現象化しはじめた時、
サイトーちゃんいわく、
「女子大生がお水になったのではなく、
お水が大学へ行ってる時代なのダ」と。

ワーォ!! 大正解!!
その後の経過において、これは証明されている。

「お水」といえば、
基本的には「風俗営業」なんですが、
「芸人」も入ります。しかし、
ここには歴然とした「裏表」があって、
「素人」と「玄人」の一線は、
むしろ「お水」の「倫理」であった。

この、「倫理」が曖昧になっていたのが、
「場末」と、有名なところでは「新宿」である。

私が、はじめて「お水」経験をしたのは、大学一年の時、
であるが、実際は、
父親の姉、つまりわが叔母がその系統であったので、
高校のときに金沢に遊びに行って、ほか、
そもそも親父がそっち好きだったので、
なれっこになっていた。
ほか、
三歳の時、「おめかけさん」に可愛がられた以降、
小学生の時、お向かいに「タレントさん」がいて、
などなどで、、、

経験、としては、
飲みにいった、また「バーテンダー」のバイトをした、
また、TV局での「芸能」バイト、ということだが、
しかし、中途半端な「お水」バーでは、
私はモテることなく、ついでに人生相談などされて、
酔いもどっかへ、知らんがね、、

で、徹底的に相性の悪かったのは新宿の「文化人向け」バーであった。
二丁目なんどは最悪でござんした。
で、徹底的に相性の良かったのは銀座の「文化人向け」バーであった。
で、けっこう安らいだのは赤坂・青山あたりをはじめ、
ホテルほか、ボーイのみのカウンターバーであった。
要するに、そういうことで、「お水倫理」よ、いずこへ?

芸人もTV中心になって以降、何でもありの楽屋芸に宴会芸、
前から三列目で、一人だけ笑わない私に気づいて、
必死で「予定以上」の芸を行い、
やっと笑った私に「ほっ」とした先代猫八がなつかしいでなもし。

で、旅とお水は切り離せないはずなのだけんど、、


つづく