政教は分離できるでせうか、できてるでせうか??
信教の自由とセットになっているわけだから、
ひとつは多宗教の存在、
ひとつは無信教の権利、
つまり、「宗教」を相対化することにはちがいない。
ひとつは多宗教の存在、
ひとつは無信教の権利、
つまり、「宗教」を相対化することにはちがいない。
と、すると、
それぞれの「宗教」は「絶対」であるはずなのだから、 その「絶対」を信じつつ、 その「絶対」を相対化するという、 矛盾構造を思想化していることになる。
いわば、
「絶対宗教」同士の平和共存、!?
なのではあるが、
そうなると、宗教団体員の数量という要素から、
たとえば、
ある宗教団体員がある国の過半数を占めたとき、
さて、そこに、
自らの信じる世界観を、
なおかつ「相対化」できうるものであろうか?
「絶対宗教」同士の平和共存、!?
なのではあるが、
そうなると、宗教団体員の数量という要素から、
たとえば、
ある宗教団体員がある国の過半数を占めたとき、
さて、そこに、
自らの信じる世界観を、
なおかつ「相対化」できうるものであろうか?
ついで、
「世界観」としての「宗教」は、
もし、
力関係による「民主主義的相対化」に従うならば、
ある宗教団体が、ある政党を支持するとして、 宗教団体員に対しては、 上意下達という「非民主主義」になるわけだから、 これは「政教一体」そのものでしかない。というより、
「世界観」としての「宗教」は、
最終的に、自らの「世界観」の実現をめざすわけだから、
(宗教ではない思想も同様)もし、
力関係による「民主主義的相対化」に従うならば、
「教義信仰」への裏切りではないか?
裏切りでないとすれば、
民主主義を単なる「戦略戦術」とみなしていることになる。
民主主義を単なる「戦略戦術」とみなしていることになる。