「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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キリストとマグダラのマリアの子がいたとしたら、、

それが、どうしたっての?


新約の登場は、

「宗教」制度の固定的価値観の解体であったはずで、


ダ・ヴィンチが、
娼婦マグダラのマリアの、
キリストとの「まぐあい」による、
改心的「至福?」の「微笑み」を、
モナリザの絵に表現したと、仮定したとしても、

で、
それが真実だとしても、

バチカンはじめ、何を慌てるわけか?

して、
キリストの子、というならば、
けっこういても不思議はなく、
そのこと自体が「神聖」を汚す?ことでもなんでもない、

だからといって、
「キリストの子」が特殊なわけでもない、
のではあるまいか?