「泡沫候補」こそが「民主主義」の原則ではないかぃ?-高みの見物30^^
わたしが選挙権を持って以来、
基本的に「主要候補」に投票したことはない。
むかしむかし、
マスコキの末端にいたころ、
「主要候補」や「タレント候補」と「接触」したことはある。
その結果、・・は、いずれまた選挙終了後にでも書く(かも)。
で、いつからか、選挙権なるものを行使していない。
して、わたしの理念は、
投票率33%を切れば選挙は無効、 首長選は1位が過半数を得ない場合は1・2位の決選投票とすべし、 ついで、 総理大臣、衆参両院議長、最高裁と検察庁長官、各県警トップ、 教育委員などなどを公選とすべし、 と同時に、 自分が支持してはいない者が権力の座についたとしても、 その者はその時から「全体の奉仕者」であり、 公民としての義務を果たしつつ他の諸権利を有する者が、 それらに関わる発言・要請をする対象にほかならない・・ という「論理整合」であるから、
・・・
てなことで、
たとえば、「泡沫候補」の得票数についても、
わたしはけっこう十分な「理念票」と考えられる票数だと思っているので、
けっこうその結果を楽しむわけで、
したがってマスコキは、必ず候補者全員を平等に扱い・報道しないかぎり、
すでにマスコキ・・いやここではまじめに、
マス・コミニュケーション・メディアとしての基盤を失っていることになる。
NHKにしても、受信料の「公平」支払いを要求するならば、
末端に至るまでの個々の意見・意志を「公平」に反映せんかぃ。
視聴率0.1%でも、0.1%の意志を反映した番組を、
たとえ0.1%の時間・費用配分でも作らなければ、
「公平」負担なんぞはヘソが茶を沸かす子供だましのすり替えじゃい。
でせうがに。。
て、ことで、このブログも「泡沫ブログ」にしましたが、
ま、設定者にとっては「主要のためのその他多勢泡沫」であっても、
こうやって泡沫意見は発表でけまんので、
そーいゃー、「泡沫風呂」は健康にいいキモチイイものでおましたなゃ。