「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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ずるく悪い女、ソレは人妻!?--「もののあはれ」論・その1

本題に入るまえに、

「人妻」


という言葉があって、ところが、さて

「人夫」はにんぷでしかない。。


すでに、女だけがテイソウを要求されて、

男は、むしろ、「目掛け」の数を甲斐性とする、

いわばライオンに代表される動物自然の本性で、

こうなると、、

ニンゲンとしての「人妻」は「本能定義支配」はされていないので、

ただ、非常に「文化」的に、すなわち相対多数の「目=僻目」のために、

または、

単なる「経済的自立の可否」のために、

またまたは、きわめて少ないでせうが、

「愛する子」のために、

要するに「忍耐」をせざるをえないという立場になるわけで、

・・・さて、

ひとづま、であろうが、ひとのむすめ、であろうが、

どんどん接着・吸収合併をする、たとえば「光源氏」の物語を、


誰も悪く言わないで、ついでに入試にまでヒン出する事態を、


さて、どう考えるべきか??

その「源氏」を日本古来の「もののあはれ」と肯定的に位置づける、


宣長の論理もまた入試でヒン出しつつ、


英訳までされて「国際的」だってーのに、


「人夫」はすなわち「力仕事に従事する労働者」となって、

決して「ひとおっと」とは言わない。。

構造主義的には、言語概念は「対」としてあらかじめ存在するふうなことだから、

「ひとづま」だけがあって「ひとおっと」がないはずはない・・

が・・日本語のみならず、言わば、ない、のではないか?

と、すれば、ここで構造主義が崩壊するのか、

あるいは、「人妻」ってのはニンゲンだけのローカルなのか、

考えてみれば、

「女偏」の漢字じたいがすでに「差別的」であるし、

バイブル的にもそうなっているようだし、

てなことで、

一方では「妻という字にゃ勝てやせぬ」という歌も事実もあるわけで、

ともあれ、

一夫一妻を偏向的に制度化した理由は、

これ股「人権」なる概念とともに「ある陰謀」なのではありますが、


いや股「親子や家族」なる概念とともに「精神より肉」なのではありますが、


それも股ともあれ、

「愛」と「恋」とはなかなか一致しませんねぇ。。

・・・・・・。。。。。。