ミスターとミセスとミスとバージンロードと角隠しと人妻と--「もののあはれ」論・その2
まずは一曲、
さて、歌詞ですが、
「お嫁」ってーのは「女が家に」でして、
そーすっと、
他の男は「さようなら、今日限り」と諦めるわけで、
それ以前の経過への「恨み節」はともかく、
しゃーわせに、という偽善もともかく、
かつて、
も、いまも、
ミスターはミスターのままで、
ミスはミセスになって、
ただ、結婚指輪は西洋流儀ですが、
バージンでなくてもバージンロードを歩いて、
日本では「山の神、女将」の「角」はいったん措いてのしおらしさ演技、
で、東西を問わず、
ファミリーの血統をキープ拡大するのが結婚で、
ただし、そのためには、
一夫一妻では不可能であることは明白で、
こりゃーもう側室に目掛け腹、でなければいけません。。
これは自然法則なのであって、
それを規制すれば、勢力も精力も弱体化するのは必然ということで、
だからかつて前近代には西洋では「妻」すらも「愛人」可であった。。
東洋の中国でもチン切られた「宦官」がおり、
という中で、日本では、さて、??
ここに、「源氏」以前の、ないしは、有史的には「天智-藤原」前後の、
「人妻」なんどは便宜上にすぎない「自然状態」があったのだが、
ねぇ。。。