KYへの反発もまた、KYにすぎなくなるでせう値得
歴史は繰り返しておりまして、
もともと「空気を読む」なーんてーことは、
当然のことながら、
相対少数やらアウトローやらにも「空気」はありまして、
「空気」などどうでもよいと思う者は、
単純に一匹狼の形態で、
よって、
個性化が流行になって個性化の「空気」になったごとく、
ルーズソックスやミニスカ制服が「空気」になったごとく、
アングラやら暗黒やら前衛やらが「空気」として、
陽のあたる坂道へ上っていったように、
結局は「KY」への反発や批判を「空気」の場でやること自体が、
「空気」製造へのダブルスタンダードにすぎないでせう値得。。
そもそも、自分の「空気」がある以上は、
「空気」の場では大小・多少の力関係と利益水準の問題でしかない。。
分けダカラ、
はっきり言って、売れたモン勝ち、
売れないモン「窒息」にすぎないでせう。。
て、ことで、むしろ、今、
という「空気」に、そろそろ気づけってーのサ。。