「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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一夫一婦の罪と罰

言うまでもないでせう。。

みなはんが思い当たるように、


こんな不自然を、

空想・想像の「姦淫」として、

具体的には「不倫」として、

自然な感性・感覚が「罰」になり、


「罰」があるから「罪」の意識を持ってしまう。。


て、ことで、

一夫多妻がなぜ「罪」か、


(ないしは、一妻多夫でもよい、)

それ自体は「罪」ではありえない、


というのは、

「嫉妬」自体がもともとは不自然なものだからで、

その不自然感情が、

ニンゲンなるものの特殊要素にすぎないからでアル。

むろん「神々」にもソレはあった、

と、

ギリシァローマ神話やニャポン神話にも書かれてはいる。

と、鳴門マキ、

一夫一婦を成り立たせているのは、


ジェラシーと独占欲ってーことにならーな。。


政策的には大衆支配のためにのニセ道徳の名分で、

支配層であるてめーらは適当にエロエロキンリキでたらし込みツツ、

か、どうかは置いといて・・

最後の切り札、「子供のため」・・について、

父でもないチチと母でもないハハならば、

子にとっては全く迷惑な制度であって、
オ、セゾン、オ、シャトゥ・・

無疵なものなど何処にあろう・・

私の手がけた「幸福」の、

秘法をたれが知り得よう・・(ランボォ「季節よ城よ」)
と、いうことで、

本来の「文芸・哲学」は「自然体現」ダカラ、

「制度」とはすべからく、


「人工的非生命」にすぎない、という論理的帰結となる。。