「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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ニンゲンが「平和」をキープできるという妄想・幻想の「偽論」と「偽善」

もし万一、「永遠平和」があるならば、


それを望まない者がいるだろーかぃ?


して、

「平和」の概念が「非・不戦争」の状態を指すのでないことも、

生物生存それ自体がすでに「戦争」そのものであることも、

普通に理解できる程度のことである。。

「経済戦争」「受験戦争」もまた「生死」を分ける、

それらは衣食住の基本に付随しているのであるから、

「平和」を求めるならば、

恋愛・生殖を含めた「所有=生物生存」の概念一切を放棄するしかない。

それがデキル者だけが「平和」を語るべし。

たとえーば、

仏(ほとけ=人払い=人でなし)の存在ですらが、

雑念・妄念・執念にとらわれれば、

「仏の座」を追放されて降格する、わけダカラ、

・・さ、ありて、そうして、

この世の現在生存は自らが選んだとプラトンも説いているのダカラ、

パウロもキリストを殺そうと狙っていたらしいのダカラ、

そのキリストも、

釈迦を殺そうと狙っていたダイバダッタであったらしーのダカラ、

「神々」はやたらに「他神」やヒトやブタやらを殺戮排除するらしーのダカラ、

「地球」はマルに十のマークでありつつ、

「全宇宙」からはゴミ塵にすぎない程度の存在で、

そこに寄生する人類なーんてのぁソレ以下で、

一方で、

地球に匹敵する星は「全宇宙」に一億個は優にあるとかで、

・・・

この水準で語られる「平和」だけが、

美しい夢、と言えば言えるのであって、


それなき「平和」ギロンとは単なる個的利得からの偽善でせう寝。。


多少はあっても、

いずれもラッキーな者同士の「平和共存」に過ぎず、

アンラッキー者には「平和」なんてー概念すらが、

何のことやら、マージャンの手かと、・・

ある時、電車の席で、

いかにもソレらしいあんちゃんが座っている近辺に、

人が少なく、

あちしは少ないトコが好きなのでそこへ行って、

隣へさっさと座ったラ・・

そのあんちゃんが話しかけてきた。

前半は省く・・あることにあちしがフツーに答えたあと、

こーゆー稼業やってるとナ、

いつでも相手の弱点を探ることばっかりに集中する、

のんびりしていられないのがイヤんなるよ、

と、

とっとっと、

その目は和んでいたので、あちしも妙に和んだ。。

カレは、

怪しげな自分の自覚のもと、

皆が避ける隣にためらいもなく座ったあちしに嬉しかったらしい。

別書庫で書いてあるとおり、

あちしは893さんとは慣れとりまんので、

「人間不平等起源論」を前提にこそ、

恥ずかしくて言えない「平和」とか「愛」とかを、

コトバではなく屈折した言動で示す「真実」をのみ、

直観することができるんどすので、

「口先人間」は抹殺するを「正義」とし、


それらがいなくなったラバ「平和」の一端がイメージできる鴨、と、

・・股、後日。。