「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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実戦問題「三四郎」・設問三から六の考え方と解答例


設問七については次回。

以下「文脈からの考え方」


問三【[A]未来をだらしなく考えて】とあるが、なぜ「だらしなく」なのか説明せよ。

 文脈から「だらしなく」の内容は、「趣味品性の具わったエリート街道を歩み成功する未来」への思いである。普通に考えれば、それ自体は「だらしない」夢ではありえない。しかし、そこへ至る心理プロセスが前二段落に表現されているので、その心理内容との比較から考える。
 すなわち、あるいは潜在的に分かっていた自分の弱点を、「見当が付かない」正体不明の「あの女」「あんな女」に見事に指摘されて、その弱点といきなり対峙させられたために、かなり落ち込んだ自分がそこにいる。ここでの落ち込みは、いわば理知と感情との二極化への直面であり、大学生として理知に与すべきが当然と考えていた自分の判断が、実は人間としての弱さの裏返しでもあることに気づいて、この世の半分が女性である限り避けては通れない現実への、深刻な当惑である。
 そして、ともあれ、理知あるはずの自分が「見当が付かない」というショックは、本来は理知を持って乗り越えなくてはならないにもかかわらず、ただ今の結論としては、女を避けるしかないという臆病に戻ってしまう悪循環となる。そこで、この大問題との対峙を先送りするために、ひとまず現在の自分の長所にスポットを当てるしかなく、非現実的な安易で楽観的な推測未来を思い描いて緩和するしかない状態を「だらしない」としている。・・・以上からまとめる。


問四 【[B]嬉しく感じた。】理由を説明せよ。

 ここは、問三の延長として考えればよい。
東京という中央都市へエリート大学生としてゆく自分の明るい未来を夢想することで、現実の「女」の存在へのショック、落ち込みから立ち直ろうとしている心理のなかで、難しい本を開いたり、新聞を読もうとしたりしている自分を、未来のなさそうな中学校の教師っぽいと勝手に推測する髭の男から、一段上の高等学校の生徒と認識され、現実の教育関係者から比較的に上位にいる相手と見られたことで、プライドが戻った。この流れを表現する。


問五 【[C]黙ってしまった。大学生だと云いたかったけれども、言うほどの必要がないからと思って遠慮した。】とあるが、この時の三四郎の「必要がない」判断について説明せよ。

 あとで分かるが、「自分が如何にも田舎者らしいのに気が着いて、早速首を引き込めて」とあるから、髭の男に「東京の?」と聞かれて「熊本です」と答えざるを得なかったことに劣等感を感じているようである。
 よって、高校は熊本の田舎だが、これからは東京の帝大へ進む出世街道だと言いたかったのだが、未来のない中学校教師だと勝手に推測して自分が一段下に見ている相手の男にあえて自慢がましいことを言ったところで、田舎劣等感はカバーできてプライドは満足できても、特に生産性がないと自粛したことになる。
 つまり、単なる「中学校教師」と「大きな未来のある」帝大生の自分とは、格が違うので、あくまで髭の男は「旅途中の同席相手」にすぎない通り過ぎる相手だと。以上をまとめる。

 
問六 【[D]妙に不愉快になった】理由を説明せよ。

 文脈からは、三四郎はダ・ヴィンチについてほとんど知識がないことになる。ついで、豚の鼻という本能的俗性と、ダ・ヴィンチの知的学問的レベルの内容が「危ない一念」の共通項として「真面目だか冗談だか、判然と区別しにくい様な話し方」で一般化されて話されていることに、自分の想像を超えた未知の世界・存在があることを感じ取ったようである。その「未知性」への軽いショック(「少しく辟易した」とある)が、実は重い昨夜の「女」の存在とオーバーラップしたことになる。ここをまとめる。

以下「解答例・解説」

<問三解答例>

1.女から「度胸がない」と真実を言い当てられ狼狽している心境を、教育を受けている学生としての品性を保とうと回復を試みつつも合理化が不十分なまま、楽観的な未来想像で逃げようとしているから。

(別解)
2.正体不明の女から自分の本質的な弱点を指摘されうろたえた心の回復のために、理性による自己客観化と対峙を続けて解決を図るのでなく、逃避的に安易な夢想的未来想像を当てる代償行為にすぎないから。

・・・1.は問題文表現を取り入れた解答、2.は趣旨を概念として表現した解答。「だらしなく」の説明がポイントなので、自己の本質指摘を認めつつも動揺している状態と真剣に向き合うことを避け、保留している姿勢が「学」の本質にそぐわないことが答えられていれば、合格ラインに入る。


<問四解答例>

「女」の指摘に自信喪失した心の切り替えのため、大学以降の明るい未来を想定しつつも所在無く居心地の悪いところへ、中学教師だろうと軽く見た男から一段上の高等学校生と思われて少し自尊心が戻ったから。 

・・・大きな自信喪失の中での小さな自信回復の対比がポイント。


<問五解答例>

中央・地方の格差に劣等感が刺激され、自分は帝大生だと知らせて男の敬意を得ようとも考えたが、所詮は「中学教師」だから、品性にもとる言い訳になるだけで今後の生産的交流はない相手と判断した。

・・・三四郎には、学問を志す者の「趣味品性」を重んじることと、今後歩む東京=中央での出世のためのエリート人間交流への期待から、表面的な固定観念がある。髭の男への心境変化はありつつも、「三等車」に乗っている、態度がエリートらしくなく俗人っぽい人間の社会的ランク判断が優先されている。


<問六解答例>

豚の鼻の冗談めいた食欲話と未知のダ・ヴィンチの知的な内容が「一念の危険」と一般化された内容に臆したことで、昨夜の「女」への共通心理が重なって、忘れていた「不明」ショックが蘇ってしまったから。

・・・もともと、「昨夜の女」へのショックは本質的な重い水準であるのに、「正体不明」ゆえにストレートに受け入れられない。そこへ、再び「正体不明」の「三等車人間」が、想像を超えた真実を述べる、まさに三四郎は「不明・未知」への混乱の中に居るのである。地位も名誉もある立場の人間が「真実・本質・未知」の事柄を述べるのならば、納得しうるという先入観が、自らの「田舎-中央-出世」=存在理由=自己認知=自負心の根拠であることが問題文全体から読み取れる。この流れの読みが問七への解答につながることになる。




てなこって、
付録は以下。
「出世街道」は英語では「Highroad to success」つまり、
「出世=世に出る」とゆー日本概念ではないことをチューイ。
「侍(=さぶらひ)ニッポン」は「Serving person in Japan」つまり、
サムライはもともと武士として仕える・控える人で、
「Those who guard」、てなてな、しかも、
ある家の「Family=御家人」で、を念頭に・・、
「(会津)白虎隊」については、
その極致たる「御家人忠誠心=Samurai's loyalty as family」となりんす。
薩長vs.徳川の、
さて、「サムライ魂」は、どちらにあるのでせう?
この辺は、「明治維新・近代化」の嘘と真として、後日。
漱石は、その辺りを描いておりやんす。。




[s 侍ニッポン(徳山 叙ホ)]