「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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漱石の、体験的「明治近代化後エリート=ひ弱な花」予言の的中NOW

100年以上、完璧に的中しつづけとりま。


「ひ弱な花」を、

あちしは否定するわけではおまへんで。。

儚く、また果なく咲く花は、

それ自体がそれ自体であることにおいて、

それぞれ花の手柄、でありつつ美しい、でせう。

ただココで、


「ひ弱」とゆーのは、

野生ではナイところの、

「温室栽培」を意味するのでアリやんして、

「営業」のための「保護育成」を受けた、

近代の生物一般を指すのでせう。

あちしが、漱石にピタっときたのぁ、

「(=^・^=)や坊ちゃん」よりも「草枕」どして、

と湯ーのぁ、


あちしはむかす、

実際の(=^・^=)も坊ちゃんもキライどしてのー、

もっとキライだったのぁ、

作品ともども「こころ」どして、

むしろ、近代血じゃねー痴でも恥ではあるエリート模様としては、

漱石よか紅葉の「金色夜叉」好みどして、

実際、


小中高と「ユートーセー男女」のうちに位置しては田舎じゃねー否柄、

そいつらは全部といっていいほど興味なき存在で、

マン中あたり以下の難如じゃねー男女とバカ志仲良くしてもした。

ので、


当然のこととしてクラスの番町サラ屋敷じゃねー番長とも、

始めになぜか仲良くなるので、

クラスの秩序は「恥上位」じゃねー「知情意」一体で、

「善のイデア」は不明として、

「知惠と勇気と節制」がそれなりに調和して、

「正義」になったかどーかも不明として、

友あれ、延宝拠り、じゃーねー、

ともあれ、


ムシロ、ユートーセーが居心地悪いムードの、

すかす、


わがクラスの上部コーゾーは、

「ひ弱」ムードを消していった・・・

少なく友、わが小学六年の夏までは。。

して、


その夏以降の、

一億総中産時代に、あるいはわが漱石位置づけが準備されたのでROU。。

つづく、

のだが、
実戦問題試作「三四郎」(総合現代文の旅書庫)を楽しく読まない読めないならば、

つまりは、
You belong to the group of "Namby-pamby flower(「ひ弱な花」)" raised in the greenhouse.

てなこって、

三四郎」は、いやむしろ漱石全体は、
灯台・鏡台を主とする、
「珍呆゜じゃねー進歩的文化人」には、敬遠されとるよーどすなー。
その理由は、漱石を読めば瞭然だが、マタつづく。。