キレイなカネとキタナいカネと袖の下の政治経済ガク
他に、
キタナい札はカッコつけないばやいに使い、
キレイな札はカッコつけのばやいに?
ピン札ピカコインそれ自体にはキレイが当てはまり、
ルーツが明らかであってもサ、
不労所得であればキタナイし、
過労所得であればキレイすぎ、
と、なると巻き、
「労」に似合う金額ってーのが、
あるのかないのかダレガナニヲキジュンニキメルのか、
袖の下がなぜ袖の下なのか、
目立たぬよーに分からぬよーに、
スル理由は、
「公利」を「私利」にする意図であるしかなく、
・・もともと商売ってーのは、
売り買いの中での吹っかけ値切り交渉そのものだから、
ここでの「袖の下」とは、
条件付値引きやらの「契約条件交渉」のうちであって、
その交渉の過程で、
接待やらの社用交際費など、
民間ではふつーに考えうる概念に他ならない。。
方法を誤ると、株主のクレーム、やら商法規定に触れる、
・・・して、
この構造自体は、
「民主国家株式会社」概念として同等でありつつ、
いちおー「正直納税」で喰ってる全てのコウムインは、
キレイなカネをキレイに貰って使うのが当たり前。。
ところがギッチョンチョン、
概ね、キレイなものをキタナク貰って使いたがる、
・・・後略
民レベルでの経済商売は、
八百屋の長兵衛こそ「正義」でアルから、
そーゆー妙味をやりたければ、
「公」には姦計するべからず。。
なのだが、
たとえば宣長の、
「言痛(こちた)き名どもくさぐさ作り設て・・」 「かまへ出たる託言(つけごと)」を、 「己が罪をのがれむがために」 (以上「直毘霊=なほびのみたま」ヨリ)
官レベルを考えてみると、
政治や国家なーーんてーのぁ、
「私欲」の延長スクランブルにすぎないわけどして、
カネの「綺麗穢い」なーーんてのぁ、
マルクスの「経哲草稿」どおり、
「欲望による錯覚」程度の概念に過ぎざるや!?
カネがほしー輩は、
それ自体で、
穢ったねーーーーーわけで、
すかす、その「穢さ」は、
食うや食わずの側からは「綺麗な正義」なのどすえ。。
ま、ともあれ、
煌(燦)めく星空を眺めて、
ナニを感ずるか。。の付録。
煌(燦)めく星空を眺めて、
ナニを感ずるか。。の付録。