「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「愛」の本質「友」の本質

湯ー猥、とかとか、


アリストットルの「倫理学」を表面的にぱくった、

ぽっぽっぽしゅしょーはココでは無縁ほっとけ、

で、


愛とやらの本質は、

ロミ・ジュリ以外はなく、

今、Gyaoでやってる韓国版「ソドンヨ」が、

ニャホンにも関わる部分で、

ぜし、オススメどす。


・・・

して、バイブーでも、

「神の愛」はSM放置プレイであり、

して、仏教でも、

そのようであり、

ヒンズーでは、

真理の悟りは「エッチ」とともにあるらしく、

イスラムでは、

ライオン家族主義で、

では一体、

近現代の「個・人権主義」は、

つまりは、


「個=神願望妄想」の育成でしかないカラ、

テキがその妄想主義者ならバ、

「個=人権」でもって闘うのが手管、

だが、


この構造がこそ幻想であって、

「正義」の座標軸が変われば全ては変わる。

ここで、


個別と普遍の哲学がポイントとなり、

ある個別座標軸下での生存保持が、

別座標軸下では成立しない無生存、

と、鳴門巻きに恵方巻き、

そこに、


普遍的存在項があるか、

あるとしたら、何か。。

物質的生は、

想定しうる数だけ存在するから、

どういう物質界であっても、

共通普遍の法則がありつつ、

むしろよりよくの生存を経験できる、

とゆー理念になることを、

分かればこそ「宇宙トリップ」の「粋」があるのでせう。

だから、


「愛」とか「友」の成立は、

生き地獄とパニック通過をのみ前提とす。。

のでRRR。