久方の、光の季節の一週間(復刻記事1)
理由(わけ)は?
「気分」ということにしときませう。。
「気分」ということにしときませう。。
まずは「復刻記事」を並べつつ、
適宜、現在時点での追加・補足を加えつつ、
「流し」てゆきマス。。
適宜、現在時点での追加・補足を加えつつ、
「流し」てゆきマス。。
「復刻・再はじめ」は、
02/9の記事からどす。
02/9の記事からどす。
●久方の、光の季節の一週間●(02/9/14の復刻) (02の)8月に鳥取県の素泊まり・自炊の某温泉地へ行ってきた。 比較をしてもしかたがない、と言えばしかたもない、のだが、 現在のわが棲息地では、下水工事に7-10日、そのうちトイレの工事に3-4日というので、 (東京では前者3-4日、後者1日であった。早い話が人数を増やせばよいだけのところ、現棲息地では2人程度でタラタラやるのである) たまんねーな、と、急いでやることでもないのに家主が自己都合で、 しかも来春の契約更新時の値上げをひそかに企んで、その了解を得るでもなく、 きれいになったほうがよいだろう?との、これみよがしで「依頼」してきたので、 その間植木の水遣りを条件に、ついでだから1週間のんびりしようと、旅立った。 往きは、人呼んで「ゴーカート列車」または「ゲロ列車」と悪評の高いスーパーやくもにしたが、 しかし評判倒れで、乗り物に強いわたしにとっては、「期待」外れ。 つづいて、「とっとりライナー」への連結で、 少なくとも急行仕様だと考えていたら、何たる2両ボロ連結!! 日本海を遠くに、大山をかすんで、 出雲に向かってのナンバリングやくもとの政治力の差をモロに感じるルートであった。 着いたところは、その昔、乞食スタイルの空海を邪険に扱ったために、 美味かったイモが苦くなったという温泉地。 そういえば、例のゴーカートやくも、なんの事故でもないのに 新見の手前で「非常信号」のため約5分停車、 のちに調べてみると新見は空海の東寺の荘園であったそうな。 宿は12畳和室に8畳程度のLDK、近代的キッチン・トイレつき。 して、風景は、このページの背景。という、非常なちぐはぐの中で、 しかし、わたしは奇妙な「落ち着き」の中にいた。 (冒頭写真は、雷雨下の、宿の窓からのもの) ちょうどユングと古事記を携えていったので、 まさにそれらの「アンバランス」が、時間的にも空間的にも訪れたのである。 詳細は後日別サイトでの展開だが、心的なエアポケットの一週間であった。 帰って、予想通り、ゴーマンな家主の腹がみえて、 少しくトラポルタではなくトラブったあと、ともあれ来春の契約更新はしないことにして、 旅先での予兆めいた「時間感覚」に沿った、もうひとつの「旅」を考慮する方向になってきた。 むろん、HPを遊んでいるところから、少しずつ始まってはいたのだが、…。 ●久方の、光の季節の1週間●No.2(02/9/17の復刻) 高校3年の夏に、約20日間、今もあるのか長野県の「学生村」で過ごして以来、 大学時代は毎年、夏は5-6日の海山合宿とプラス数日のキャンプや、 お世話になった「学生村」への再訪など、 小滞在旅行はスケジュールのうちであった。 しかし、その後は、2泊3日程度の仕事がらみが何回かあっただけで、 もう、ん十年も、夏には動けない状態が続いていた。 金があるときゃ暇がない、暇があるときゃ金がない、 のみならず、わが性癖上は、いわゆる「観光旅行」は興味がなく滞在が主となるので、、 日本旅館は面倒くさい、ホテルといってもせせこましいために、 かといって、自由な素泊まり・自炊は温泉療養地くらいしかなく、 結局は、もひとつきっかけもないままに、くそ暑く「都会」で過ごし続けてきた。 そういう経過からは、不当な家主の「依頼」を逆手にとった思いがけない「旅行」の達成であったが、 時代と共に、面倒くさく部屋チャージ料金にしない日本旅館や、 景勝地ではやたらバカ高いホテルではない、別荘式や自炊式ができはじめたことも、 わたしにとってはプラスとはなってはきた。 さても、「旅」というものが、「苦しむ、耐える」というニュアンスを含むものならば、 俗に言い古された「人生は旅」という「定め」論にもなるのだが、 一方の、「観光」というありふれた言い方とともに、 しかしながら、本来的な要素を考えてみると、 (現在地を出奔して)観国之光。利用賓于王。という易経の記述から「観光」が発生しており、 原意は一国の風俗の美を観察することで、その国の君主の徳を察知し、 仕える相手を、ないしは定住する場所を探す旅をするという流れになる。 その意味では「旅」には「義」のために「故郷喪失」という感覚が伴っている。 わが感覚は、これに近い。というより、「故郷」がもともとないので、 はじめに喪失しているから、必然的に場所を探す旅をせざるをえないという、 逆ルートということになる。 そこに、「義」という観点が介入するか否かについては、 「故郷」をはじめから持たない者の「道理」として、生得的な「義」ということなのであり、 基本的な「生存権」の領域である。 して、今回の、思いがけぬ、ん十年ぶりの「夏の旅」は、 故郷と家族と財産単位の非近代的な日本、分かりやすく下世話な「義」の局面から言えば、 賃貸借と町会という関係に残存する「過去の遺物=人権侵害」と、 それに依存しつつ怠慢行政にあぐらをかく自治体、への「観光」となった。 さて、学生の頃の「観光」にあっては、 周囲は非社会人としてのエクスキューズのもとに、 当人は生活・生存実感の伴わぬままに、 それゆえに風俗の本質が見えないままに、 青臭さ(けしてアホ臭さではない)の域にとどまったものでしかなかったが、 ともあれ、「学校」を40日間「出奔」しうる夏とは、 貴重な「観光」の季節ではあったのである。