「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「よい子」の、時期を失した「反逆」が、今・・(復刻記事16)

●プロよりもアマの質の良さ(03/5-の復刻)●
 
倫理というものが崩壊し、経済だけが増殖する。
加えて、「よい子」の囲い込みによる「大人」の平坦化に対する、
「よい子」の側の、残念ながら時期を失した「反逆」が、今。
 
 
私がインターネットの「あやしいサイト」を巡って、
驚いているのは、「素人」の「質の良さ」である。
むろん質が良い、というのは「見てくれ」の質のことである。
 
 
どうしてだろうか、と考えていたところ、
要は子供の時に、3段階の「反抗」を行っていない、
そのストレスが、一挙に「大人」になって噴出している、
いわば幼児化現象そのものであろう、と思い至った。
 
 
彼女たちは、何に「飢えて」いるのだろうか、
金にか、愛情にか、友情にか???
たぶん、その全てであろう。
 
 
彼女たちは、私の感じるところ、アタマの程度はなかなかである。
BBSでちょい構ってみたら、なかなかであった。
 
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(↓はアル「おじさん好き」の良い子ゆーめーじん)
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(これもアルイハそーかも・・)
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こうなると、
そのサイトに群がる、CDを購入して支援する、
普段は「まとも」な男どもの、
心理もまた同様であると考えられる。
 
 
また唐突に、
タケシがいかりやさんの追悼?発言で、
自分は亜流でいかりやさんが本流、なのに、という発言をしていた、・・・
 
 
 
 
 
 
にもかかわらず、多く、
「名誉」は亜流にこそ与えられている、
 
この「機微」を、
そのまま、ネットの「あやしい仮想現実」から承知はし得る。
 
 
で、タケシによれば、
これからは、本流が復活する、らしい。
その時、タケシ自らは落ちていくことになる、のだが、
問題は、
このアイロニーを、さて、どう「凌ぐ」か、である。
 
 
というふーに、「真面目」に考えることが、
ほとんど「利益」にはならないわけであるから、
じんせーってものは、先に好き勝手、不真面目にやりつくして、
老後や死後が心配になった頃から「真面目」に考えつつ、
「反省」の態度を示して、「執行猶予」を狙う、
ってのが得策だなぁと、私は過去に何度も考えてきた。
 
 
いくつかのエポックは、
しかしながら、その「得策」の実行を、その度ごとに阻んだ。
というよりも、「阻む」に至るプロセスで、すでに、
私のフィーリングがすこしずつ「壊れ」つづけて、
むしろ生理的に「悪酔い」をし続けるので、
理性や知性というレベルのコントロールを超えてしまう、
 
というわけで、
たとえば男女モラルという局面を基準にするならば、
私の「理知」判断は、根底的には「モラルハザード」であるから、
「悪酔い」の原因はそこにはない。
 
 
先の、「あやしい」サイトとは「妖しい」のムードであり、「怪しい」ではない。
で、「妖しい」とは言っても、俗に言う「妖艶」とまではいかない。
むしろ私の「性感覚」からは「エログロナンセンス」の域の、
人生倦怠期になお性欲があれば発するだろう、
ないしは、一種の「異常性愛」に属するものが、
ぴっかぴっかの「若者」に生じている、このことが「あやしい」のである。
 
 
要は「即物的」、これは未経験時の好奇心の自然であり、
新奇への接近の自然ではあるが、
少なくとも経験をしていけば、慣れる飽きるものだから、
あとは超える、すなわち精神的な位置づけになる、はずのものだと、
私はそう経験してきた。
 
で、ないとすれば、これは一種の「習慣病」として、
精神鑑定を含んだ「ストレス」を解明する必要がある。
つまり、そこが、この問題なのである。
 
こいつら何やっとんねん? 何ゆーとんねん?
というのが、ネットのあやしい、しかしぴっかぴかの「素人」と、
群がる男たち(ども)の、バーチャル的現実らしい現実のようなのである。
 
考えてみれば、えー? というAVのピストンワンパターンが、
一方で写真やビデオによる「経験」として蔓延し、
ついでに「知識・情報」がふくらんで、それがとうとう日常となった、
これこそバーチャル経験による現実のバーチャル化であって、
アラーキーがまっ青、なのか本意を得たりなのか、
今はお付き合いがないので聞けないが、
 
そう言えば、
アラーキーの亡くなったヨメさん陽子さん、に感じたスタイルが、
いまや「ネット現実」に蔓延しているっちゅーことは?
祟りかなー?!
 
 
アラーキーのヨメさん陽子さんは、
私が話している限りにおいては、きわめてフツーであった。
 
 
20代の記念にヌードを撮りましょう、
というのは、まさにただ今のネット現実へのエポックではあった。

カメラによる撮影が、覗きの意味を持つので、
それを延長すれば行くとこへ行く、
これはずーっとかつて、私は何度か経験済みである。
 
 
基本的には、たいした問題でもない、
きわめて普遍的な、むしろ自然のなりゆきの領域にすぎない。
ただ、
現在のネット現実においては、「古物商」はじめ、
販売がからんでいつつ、普段は「素人」「ぶり」、
という、
ここが徹底的に「違う」のである。
 
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