「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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あら!?ーキィも真っ青の淫多ー寝っ徒時代に呆然・・(復刻記事15)

●極めてハイレベルの意味?・・にしばし呆然(03/4-5の復刻)●
 
なんで、こんなレベルの子が
というのが、インターネット以前から、
週刊誌ほかで目にした「風俗情報」の感想であった。
 
・・程度の比ではなくの今や、
アラーキーもまっつぁお、のOpenしかもムービーが、
その後のインターネットでこれだけ溢れると、
 
私の思考の、現在的限界を、
しかし、感覚的には超えうるのであった
 
 
残念ながら、
問題は、「一夫一婦制度の倫理」であろう、と、
秩序管理の方策からは、正義めいて受け取りうるとしても、
 
 
残念ながら、
理ないし利の筋道としてはともかく、
私は感覚的には、
一夫一婦の制度を倫理として受け入れることは不可能である、
 
から、問題は、
不倫、という言葉の前提には「倫理」が絶対「正義」である、という、
その「倫理」の内実を明かす必要があることは当然である、

・・ことくらいは、小学生でも分かるだろう。
 
が、「フリン」が刑事ではなく民事になっている以上、
これは決して「絶対不正義」ではありえない。
 
 
問題は、妻ないし子を持ち「家庭」を持ちつつ、
別の女性と性的交渉に至る関係を継続的に持つ、ということが、
何の「倫理」に反するかということである。
 
単純には、
妻の自由裁量を認めつつ子を物心ともに十分に養い、
なおかつ別の女性の自由裁量を容認しつつ、
 
つまりは、例えば妻や別の女性が別の男とどうなろうと、
互いに恨みや嫉妬は無しにして、
という水準を超えた「倫理」がありうるのかどうかである。
 
<Now後記>はっきり言えば、あちしはOKでありやんす。
ホレたハッたは、それ自体「運命自然」の域なので、
そーなった「自然」に所有執着はありやせん。。
 
 
要は、物心ともにそれぞれと責任キープできうれば、
これは立派な「倫理」でありうることになる。
 
つまり、「不倫」の前提「倫理」が不明確では、
むしろ独占欲と嫉妬と家単位の「反動」的退行にすぎないことになる。
 
で、「優雅な理知」というものがあるとすれば、
これはもう、「運命」とかいうものを「悟る」らしいことしかありえない。
 
生きる、てか、よりよくキープする、てか、
名利を冥利に任す、てか、
とにもかくにも、「縁の現在」の機会に正直である、という、
「(あるかどうかも不確かな)明日のことを心配するな」というキリストの言葉どおり、
瞬間瞬間の判断を大事にすべく、
瞬間瞬間の失敗を積み重ねつつ、計算のない「率直」をこそ。
 
 
倫理や不倫という、不道徳や非行という、
その前提の「道徳」「行」とは何かが不明のまま、
問題は「相対多数の平和慣習」を「正義」と思いたい「欲望」を、
絶対倫理とすりかえることである。
 
 
で、
AVへは行かず、ネットアイドルの範疇でもなく、
しかし、きわどいところで売っている、
ある意味では「下は貸しても上は貸さない」「娼婦」の心意気、を
とにかくやっている美女キューティが、
これ、めちゃくちゃ多いのである。
 
 
普段は普通の、を維持しつつ、裏は特殊の、しかし間接で売る、
というのは、
普通には普通の夫婦が持っている、「裏」の直接性を、
はたして超えたのか、否か、
いわばかつてのストリッパーレベルではあるが、
私の感覚からは、だいぶ違うのである。
 
 
教職免許を持っていたり、抜群のスタイル、並以上のフェイスと感性、
BBSに律儀に答える、しかも、相手への機微を十分消化して、
 
と、なると、
水準は、たぶん少年少女文学の今回芥川showを、
はるかに超えている、不可思議なネット現実がある。
 
♪顔が違う、心が違う、選者が違う、、、
北海道と沖縄がひっくりかえる、という譬えの水準での、
わがデータ収集である。
ただ今接触中、の、
ネットセクシーおもしろギャルのレベルについては、徐々に…
ひとまずは、ベリーキュート2-3、と接触
 
イメージ 1
・・・
←「接触中」
というのは無論、冗談で、
トータルでバーチャルの「現実」とは「接触中」には違いないが、
この「顔」の見えない「声」の聞こえない、
「肌身」の感覚がない、そしてそれゆえに、
実は誰がどの「目的」のもとに「騙っている」かも確定できない、
という、「不信の時」が基本的に存在するなかで、
しかし、わが「直感」からは、
明らかに、いや相対的に多数の、シロに近いグレーがそこにある。
 
 
どう見ても、クローとでしょうの時代にはなかった、
しかしひょっとしたら、隠されていたフタが外れただけの、
価値を問題にしえない「現象」がここにある。
 
これを「詩」というか「芸術」というか、
それもまた、「価値」づけにすぎないから、
問題は、バーチャルリアリティという言語矛盾を、
そのまま体現している、これもまたパリティには違いない。
 
 
 
騙した騙された、というのは、
別段に「出会い系」の罪でもない。

もちろんインターネットの責任でもないし特許でもない。
ただ、騙しやすくなったないし、その誘惑にかられる、
という性質はあるが、
それもまた、近代の「イルミナシォン」全てに通じることである。
 
 
で、あれば、
近代全否定しか残された道はないことになるから、
ポストモダンよりはプレモダン、
そしてそこには、さて何がある??
 
 
人間に「進化」ないし「適応」があるとすれば、
こりゃまた「欲望」の「経済学」抜きには語れない。

 
ということで、
陰陽・正反合の繰り返し、しづやしづしづのをだまきくりかへし、
は、ひじょうにモダンではあるまいか。