ど素人連中無為の歌または売った田畝--改題アップ
昨日の替え歌がちとキツすぎたので、
ちとゆるくシテ再アップ。。
ちとゆるくシテ再アップ。。
で、
ゴロ合わせ的パロディとゆーモノが、
同国語は言うまでもなく異国語間でも成立スル、
とゆーコトが、
いったんは「割れた言語」が、
実は「共通観念」を潜ませている、
とゆーコトにもなるのだが、
ゴロ合わせ的パロディとゆーモノが、
同国語は言うまでもなく異国語間でも成立スル、
とゆーコトが、
いったんは「割れた言語」が、
実は「共通観念」を潜ませている、
とゆーコトにもなるのだが、
言語内外の「虚偽」や、
論理構成の「顛末」や、
に対応しつつ、
「音」としての「共通普遍」、
論理構成の「顛末」や、
に対応しつつ、
「音」としての「共通普遍」、
ただし、
観念やイメージの全くの違いを展開しつつ、
それでもなお「普遍」要素を帯びている、
ココがミソでRRR。
観念やイメージの全くの違いを展開しつつ、
それでもなお「普遍」要素を帯びている、
ココがミソでRRR。
て、コトは、
ニホン人の音感はひとまず「変」とゆーコトになる。。
または「鈍感」と。
または「鈍感」と。
ただし、
「ドレミの歌」は当然に「ヨナ抜き」ではナイ。
「ドレミの歌」は当然に「ヨナ抜き」ではナイ。
とともに、
外国曲はその後もけっこう流行ってきつづけている。。
外国曲はその後もけっこう流行ってきつづけている。。
が、
わが感覚からは、
どーにもニホン人の底流は「ヨナ抜き演歌」である。
どーにもニホン人の底流は「ヨナ抜き演歌」である。
その「善悪」はおいといて、
問題は「なぜそうなのか」という日本史でこそある。
問題は「なぜそうなのか」という日本史でこそある。
この点をこそマタ後日。。
では以下、もと歌と「改題ドレミ替え歌」
ドはど素人のド、レは連呆のレ、ミは密談のミ・・・
ファは不安意図のファ、ソは阻喪のソ、
ラは楽チンのラ、シは知らんのシ、
さぁ訴えましょう!
どれ?民不安阻喪楽楽知らんど!
どシラー阻喪不安眠連怒!
怒眠民、眠阻喪、怒不安不安、連不安不安、らしぃ、
怒眠民、眠不安不安、連不安不安、楽らしぃ、
組度楽不安みとれ、らしぃどれ?どう?
どんな時にも劣を汲んで、
みんな楽しく不安意図を持って
空を扇いで裸等裸等羅螺乱
姿合わせの謳、さぁ謳いまshow
どれ?見ぃ?不安そら知らんど、どれ?