「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「文芸」=「自己嫌悪」というもの

「文学」「芸術」というジャンルの一部分に関わった経験からは、
私は結果として「自己嫌悪」だけが残った。

批評というジャンルにおいては、
自己嫌悪を感じたことはない。

たとえば、
「文学・芸術」というものが、
しょせんは「人間的」「情愛」を除いては成立しない状況にあるかぎり、
ということかもしれず、
ないしは、
しょせんは「人間」の行う営為でしかないからかもしれず、
または、
「この世」をうろうろする範囲での、
うろうろしている自己主張にすぎないからかもしれず、
結局は、
色恋沙汰のマジョリティだからかもしれない。

で、
色恋沙汰というならば、
こりゃー現実実践が一番でしょう、けれども、
人間には「空想」や「妄想」やの不安、
ないしは、
「孤立」を恐れるという「さが」があるので、
それは、時代性にしろ衣食住の経済原則性にしろ、
いずれにせよ、
「うそつき(ーー;)」の「妙味」ではあるにちがいない。

ひょっとしたら、
自己嫌悪とは、この「妙味」の一部であったのかもしれない。

(つづく予定)