「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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ところで地方はどうして議員が多い?-野暮を粋に転化するの術(3)かも?

わが居留地は、ただいま人口10万人余りにつき、
議員数が34人!!の税金無駄使いである。
で、下水道敷設率がわずか10%である。
で、実態はどぶ川と汲み取りと浄化槽がほとんどで、
朝夕は臭く、虫やら鳥やらヘビやらわんさで、
市街でもないのに市街化区域にされつつ、
都市計画税を吸い上げて、
駅前だけにつぎこんで、
福祉を謳いながら道路はでこぼこで、
車が入らないのに「路線価」は高く、
実勢価格より固定資産税評価額が高い!

続けて少しずつつっついてゆく予定だが、
それよりも、また「出奔」したほうが早いかなと、
思いつつも、
手をこまぬいて出て行くのは私の趣味ではないので、
「逆いじめ」を十分やってからと思いつつ、
漱石に倣えば、
「どこに越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画が出来る」
はずなのではあるが、その前提の、
「人の世」以外は「人でなし」の国という定義は、
ちょと受け入れられない。

つまりは「人の世」がすでに「人でなし」の国になってるのであるから、
画壇文壇等も同様なのである。

というふうに、
漱石が「草枕」を書いた当時は、
彼にとっての「救い」ではあったのだろうが、
そののちは、やはり「明治近代」の「人でなし」に悩まされつつ、
自らの、たぶんそののちの作品を「下らない創作」と言い、
「著作的事業は失敗」と言い切っている。

とゆーことで、
ところで地方はどうして議員が多いかというと、
ここに「形式民主主義」と「地縁」体質の原点があるからである。
しかも地方版の新聞支局は中央志向だし、
放送局は、「今日Aさんの家の牛が子を産みました」の、
「村内有線放送」の延長だから、
ろくすっぽ「地方政治」について扱いもせず、
狭い範囲では自分たちの生活にも影響するために、
てなとこではないだろーか?

とゆーふーに考えてみると、ランキング意識は野暮だけど、
これ、ブログって、本来はけっこう「粋」に近いメディアとも言える。
そー思うのは私だけかも?