「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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西郷さんの数奇(1)

西郷隆盛については、
私がかつて仕事で訪れた山形県鶴岡で、
ちょっと時間が空いて訪れた資料館に、
なぜか展示されていて、
え? 
なんでこんなとこに?
と、
その折は、仕事に紛れて、
西郷さんの全国的人気の根強さ、程度の感慨だったが、

考えてみれば、
上野にも銅像があって、

しかしながら、
明治維新の功績者でありながら、
例の西南の役のために、
靖国神社には祀られておらず、

そしてその西南の役は、
もともと板垣退助のほうが強硬な征韓論であり、
西郷さんは、まず鎖国していた当時の朝鮮に、
開国交渉をするという立場でありつつ、

結果としてさまざまな、明治政府の方策との決裂となり、

そして、もともと強硬派だった板垣退助は上手に生き残り、

という流れの中で、
これは、なんであろうか、

竜馬暗殺の謎とともに、(竜馬は靖国神社で「神様」となっている)
単なる「判官びいき」とも言い得ない謎である。

ともあれもういちど、
岩手で歌われている、これまた謎のわらべ歌を、
以下、リンク。

「一かけ 二かけ(て)」
<http://private.rocketbeach.com/~mms1834/ichikake.htm>
(「mm land」さんの「岩手水沢のわらべ歌」から。
http://private.rocketbeach.com/~mms1834/index.html)

して、はたして西郷さんは、
故郷の「学校」を、
武力革命のために作ったのであったか?

だとしたら、

朝鮮でもすぐに攘夷派の失脚があり、開国に向いた、
その流れが来て、
結局は西南の役の一年前に朝鮮はすでに開国していたのだから、

要は、
西郷人気とその復帰を恐れたための、
明治政府の「潰し作戦」ということにもなる。

明治政府の旧武士への配慮ひとつで、
西南戦争は起こりえなかったのではないか?

(つづく、予定)