日本権力構造の基盤は「町会」という亡霊である(1)
町会が権力構造に組み込まれたのは、
とんとんとんからりんと「隣組」という、
第二次世界大戦の「大政翼賛」時代の、
「非国民」相互監視の趣旨と、
経費節減上意下達システムの設定による。
昭和20年8月15日の敗戦後は、
そんなものは、国民主権の名において、
単なる親睦団体にすぎなくなった、はず、である。
が、亡霊はしつこく強い。
戦後60年を経過してなお、
世間=近所とはトラブりたくない、
この心理を利用しつつ、
なんらの法的根拠もないのに、
「村八分=孤立」感覚を呼び覚まして、
痴呆いや地方行政は、
町会利用の横着を継続している。
いい天気ですね。
ほんとにそうですね。
ここに、何の「会話」があるのか?
といえば、
「無意味な、誰も争わない事実」を話題?に、
ともかく「近所」ではのんびりしたい、
休日はゴロゴロしたい、
そのために、
「緊張感」の襲来を避け、警戒している、
お互いに、人それぞれ、
まー、のんびりしましょう、
という、
あるいは重要な「会話」が成立している、とは言える。
しかし、ここで、晴れている天気を、
植え木の水代もかかるし、雨のほうがしっとりして好きな人がいて、
いいお天気ですね。
いやー、雨のほうがいいです。
となると、
本来はここからこそが、真実理解の会話なのだが、
そもそも、
いいお天気ですね、と話しかける人が、
その「真実理解」を求めていないわけだから、
答える側も、
人を見てものを言え、
もの言えば 唇寒し 秋の風
てことで、
結局は、
郷にいれば郷に従え、
長いものには巻かれろ、
寄らば大樹の陰、
こちらの側も「人を見てものを言え」となる。
さて、この「亡霊」が「平和」であろうか??
とんとんとんからりんと「隣組」という、
第二次世界大戦の「大政翼賛」時代の、
「非国民」相互監視の趣旨と、
経費節減上意下達システムの設定による。
昭和20年8月15日の敗戦後は、
そんなものは、国民主権の名において、
単なる親睦団体にすぎなくなった、はず、である。
が、亡霊はしつこく強い。
戦後60年を経過してなお、
世間=近所とはトラブりたくない、
この心理を利用しつつ、
なんらの法的根拠もないのに、
「村八分=孤立」感覚を呼び覚まして、
痴呆いや地方行政は、
町会利用の横着を継続している。
いい天気ですね。
ほんとにそうですね。
ここに、何の「会話」があるのか?
といえば、
「無意味な、誰も争わない事実」を話題?に、
ともかく「近所」ではのんびりしたい、
休日はゴロゴロしたい、
そのために、
「緊張感」の襲来を避け、警戒している、
お互いに、人それぞれ、
まー、のんびりしましょう、
という、
あるいは重要な「会話」が成立している、とは言える。
しかし、ここで、晴れている天気を、
植え木の水代もかかるし、雨のほうがしっとりして好きな人がいて、
いいお天気ですね。
いやー、雨のほうがいいです。
となると、
本来はここからこそが、真実理解の会話なのだが、
そもそも、
いいお天気ですね、と話しかける人が、
その「真実理解」を求めていないわけだから、
答える側も、
人を見てものを言え、
もの言えば 唇寒し 秋の風
てことで、
結局は、
郷にいれば郷に従え、
長いものには巻かれろ、
寄らば大樹の陰、
こちらの側も「人を見てものを言え」となる。
さて、この「亡霊」が「平和」であろうか??