♪早春賦
♪早春賦(作詞:吉丸一昌 作曲:中田章)
■歌詞■
1春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず
2氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空
3春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か
1春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず
2氷解け去り葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空
3春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か
この歌については改めて注釈は不要と思われ、 大正ロマンの趣きそのまま、象徴=比喩の青春恋歌と位置付けておくのみとして、 以下、うぐいす、についてのミニコメント。 うぐひすは、文などにもめでたきものに作り、 声よりはじめてさまかたちも、さばかりあてにうつくしきほどよりは、…(枕草子) という「みてくれ」の印象が、 あれこれの「日常普段」を知って、 …口惜しくくすしきここちする。それもただ、すずめなどのやうに、 常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。(同) という、清少納言の「心ゆかぬここち」、について言えば、 これ「恋の理想化」ではあるのだが、 未だ慣れない青春のころ、たしかにそのような「幻滅」もあるし、あった。 が、 当然のことながら、何事につけa(c)の青春でのことであるから、 時とともに、とび・からすなどの上、に見入れ、聞き入れなどする人、 世にありかし、が分かってくる。 鶯を、私は瀬戸内へ来て、はじめて身近にみて、声も聞いた。 (ついでに夜なく鳥のほととぎすもまた。) して、早春に、鶯は、まず発声練習をすることが分かった。 さーすがー、である。 そしていま、この稿を打ちつつ、鶯の声が聞こえる。 先日は窓のすぐ上で、2メートルくらいの距離で聞いた。 澄んだその響きは、しかし、練習の成果である。 早春期には、ほー…げきょ、げきょ、とか、ほーでやめたり、けきょけきょだけだったり、 ほーけちょだったり、けっこうおかしな鳥であることが分かった。 そしてしばらく日数が過ぎると、すべてキレイな声で鳴く。 で、私は、このおかしな発声練習を聞いて、この鳥が好きになった。 …… 早春とは、まーそんなものである。 けれども、理想化の夢まぼろしと、そのせつなさは、やはり美しい。 晴れは晴れ、褻は褻、ここにも、近くて遠いスタンダードの混在がある。