「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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♪金色夜叉

金色夜叉の歌(宮島郁芳・後藤紫雲:作詞作曲)


■歌詞
1.熱海の海岸 散歩する 貫一お宮の二人連れ
 共に歩むも今日限り 共に語るも今日限り
2.僕が学校 おわるまで 何故に宮さん待たなんだ
 夫に不足が出来たのか さもなきゃお金が欲しいのか
3.夫に不足は ないけれど あなたを洋行さすが為
 父母の教えに従って 富山一家に嫁(かしず)かん
4.如何に宮さん 貫一は これでも一個の男子なり
 理想の妻を金に替え 洋行するよな僕じゃない
5.宮さん必ず 来年の 今月今夜のこの月は
 僕の涙でくもらして 見せるよ男子(おのこ)の意気地から
6.ダイヤモンドに 目がくれて 乗ってはならぬ玉の輿
 人は身持ちが第一よ お金はこの世のまわり物
7.恋に破れし 貫一は すがるお宮をつきはなし
 無念の涙はらはらと 残るなぎさに月さびし

ご存知、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の熱海海岸の場面を題材にした歌である。
曲は一高寮歌「都の空に東風吹きて」の借用とある。
はじめは演歌師が、例のヴァイオリンとともに流行らせたらしいが、
翌年に「活動写真」が作られて、主題歌に使われて全国に広まったという。

わたしがこの歌を知ったのは、やはり少年期である。
たぶん小学生の低学年までだったと記憶する。
どこで仕入れたのか、これは例の国鉄のおじさんからではないことはたしかである。
と、すればラジオからしかないが、
当然ながら、耳を傾けて聴いた記憶などもないし、愛唱したこともない。

それが蘇ったのは、中学3年の修学旅行で熱海に立ち寄った時である。
文学史として紅葉の「金色夜叉」の知識だけはあり、
熱海海岸に「お宮の松」があって、…バスガイドのお姉さんの説明ではロケ場所と記憶しているが、
それでもふーんという程度の感覚であって、その後はまた忘却の彼方。
ただし、話の内容は大雑把に知っていたので、
歌詞の5番7番が妙に浮かんではきた…

原作を読んだのは、ずいぶんと後のことである。
もともと小説はあまり読まないし、ましてや「通俗」とされているものであるから、
映画・ドラマとしてはおもしろいとしても、読書の対象ではなかった。
それが、やはり歌から入って新派で見た、「通俗」とされている泉鏡花の「湯島の白梅」
また、かつて少年期に映画で見てけっこう衝撃だった「滝の白糸」との関連で、
鏡花の下書きをたいそう添削して世に出したという、その師匠たる紅葉に興味が移った次第。

で、文庫を手にとって読み始め、あっとわたしは驚いた。
未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて…と始まるその筆の運びは、
これは一篇の「詩」であった。
冒頭第3段落目は、後日わが長文エッセイ「風と光と闇の断章」に引用したほどの特にわがお気に入りの一節であり、えもいわれぬ「風格」を感じるものである。

紅葉はこの作品のアイデァを、アメリカの女性作家の作品から男女逆すじとして得たらしいが、
銀行・財閥・金権-美貌の貧乏女性-貧乏学生という三者の構図のなかで、
愛と金、一般的平和状況下の仲間・友情なるものと特殊状況下の信念とのぶつかりあいなどなど、
近代の、どうにも近代化されない「結ぼれ」とも言え、
未完のままであることが、あるいはふさわしい、「浪漫ならぬ浪漫」という様相でもある。
ということで、一種の「やるせなさ」にばかりならぬよう、アレンジのラストのほうで、
例によって、「軽快」スイングで流しておくことにしようと試みたのだが、
どうしても商店街の宣伝音楽隊のようになるので、それも愉快かと考えたが、やはりボツ。
やるせなさはそれとして、大いに効用ありと…。