♪イムジン河
ここではおなじみの日本語訳歌詞は省略します。 と、いうのは、原詩と曲については著作権消滅、 訳詞についてはJASRACの管理下にあるため、 というのが直接の原因ですが、 それよりも、この曲のかもし出すイメージが、原作の趣旨を含んで超えて、 個々の郷愁を誘う拡がりを持っているからです。 そして、何よりも、 日本人である私が原作の直接の動機はとうてい「理解」はなしえないが、 一般論としての、政治経済を中心とする人間世界につきまとう悲しみ・痛みの個別性に訴えるという、 これは普遍性の膨らみをこそ、音楽から感じとりたい、 この曲は、その意味で民族・文化を超えた響きがあるからです。 と、いうわけで、しばし音だけにしておいたのですが、ふっと浮かんだので、 例によって、ひとまず即興で上記の歌詞をつけてみました。 (原作者・訳詞者に敬意を表して、題名と前後奏部分に原訳詞のフレーズを残します) この曲の、発売当初のフォークソングと時代にまつわるコメントは、いずれ気がむけば。 ただ今は、いわゆる「東西問題」における「38度線南北分断」と、 時代的趨勢に関わる訳詞トラブルにはじまるこの曲の経緯が、 作り歌った原作者の立場からの、当初の「感慨」と全く逆の、しかし本質は同じかもしれない、「立場」からも歌われるという、 「止揚」の可能性を秘めた存在感をかもしている、とだけ。 「反戦・平和」という理念と現実のなかで生まれ咲く、(そして散る?)人の営為の普遍性は、 一スタンダードに固執するところからは、単なる「時代」に堕してしまうだろう、とだけ。