性的快感についての、二三の戯言
我を忘れる、ことの快感、ということは、
反近代の個ということになるかもでせう。
ただし、
個の性の「半身性」という視点からは、
ペアリングによるキャラクターの確立という逆説性とともに、
個自体が孤立性としては成立しえない自己矛盾を前提することでせう。
これらは、ホモレズであっても同様でアル。
さて、
ところがオナンという快感の取り方が出現しつつ、
同時に、
相手がむしろ「見知らぬアカの他人」であることに快感度数が高まり、
「半身」が、信頼感によるペアリングを達成したところからむしろ、
性的には快感度が低下してゆくのは、
ペアの両者が、個を確立したとともに、
更なる「個」の拡大を志向するという流れになるのだが、、
ここで問題は、
オスとメスの本来自然とは何かということと、
この場面での「倫理」とは何かということ、
そして、
嫉妬という感情と劣等感や優越感という、
厄介な人間のスタイルということなので、
それは「道具」を編み出した「知性」の末路ではあるかもしれない。
すなわち、「知性・理性」も「性」的快感のうち、ということになる・・。
反近代の個ということになるかもでせう。
ただし、
個の性の「半身性」という視点からは、
ペアリングによるキャラクターの確立という逆説性とともに、
個自体が孤立性としては成立しえない自己矛盾を前提することでせう。
これらは、ホモレズであっても同様でアル。
さて、
ところがオナンという快感の取り方が出現しつつ、
同時に、
相手がむしろ「見知らぬアカの他人」であることに快感度数が高まり、
「半身」が、信頼感によるペアリングを達成したところからむしろ、
性的には快感度が低下してゆくのは、
ペアの両者が、個を確立したとともに、
更なる「個」の拡大を志向するという流れになるのだが、、
ここで問題は、
オスとメスの本来自然とは何かということと、
この場面での「倫理」とは何かということ、
そして、
嫉妬という感情と劣等感や優越感という、
厄介な人間のスタイルということなので、
それは「道具」を編み出した「知性」の末路ではあるかもしれない。
すなわち、「知性・理性」も「性」的快感のうち、ということになる・・。