「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

ブログです。姉妹ブログsへのリンクはサイドバーの一番下にあります。。

「美しい国」という、きちゃない現実--「やまとはくにのまほろば」とは?

倭建の尊が、

倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠(こも)れる 倭し 美(うるは)し


と詠んだのは、

父親である景行天皇の、子への恐れによる「イジメ」によって、

西征・東征のどん疲れで、

愛する乙橘姫を亡くして、あぁ吾妻よと「あづま」を命名して、

「足が三重の曲がりになる」と言って三重県ができたあと、

亡くなる直前に、

センチメンタル・ジャーニィの望郷の思いとして、であった。

ここで、「國」とは、意味としては「天」に対する「地」一般のことである。


したがって、

美しい国」という言葉は、本来、「美しい地球」ということでなければならない。


タケルさんは、その地球のなかで、戦いで死にかけた時に、

ヤマトを「ま」「ほ」「ろば=ら」、すなわち、

「真秀!(ろ)場=等」と表現したと考えられる。

さて、・・・これは何を意味するか?

極めて単純には、

「美しさ」は「現実」への「うんざり」の極みにあってこそ、


漸く「実感」されるものである、ということでしかない。


ただ、この時、タケルさんは、大切なクサナギの剣を尾張のミヤズ姫のもとに置き忘れていた。これが、「運の月」となったようである・・・。