「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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裏返すと、では「不倫」とはどういうことか・・?-高みの見物39^^

「倫理」とは「特定時代・社会の相対多数慣習」である。


と、すれば、「不倫」とは?


日本語では、

倫理の反対語は「不倫」としか表さない。

不倫を漢文読みすると「りんならず」ないし「みちならず」ということで、

「倫をしない、倫ではない」という程度のことでしかない。

ので、むしろ「非倫」のほうが良いではないか?

英語では、モラルに反するものはイモラル=むしろ反ないし非倫理、

だが、他に、アモラルとアンモラルがあって、

あえて訳すと、アモラル=無倫理、アンモラル=超倫理・・となる。

さて、

現実に、人間の態様は、別段に日米ほかでもそう変わるとは思えない。


すなわち「時の倫理=慣習」を100%が「正義」だとは思っていない。


問題は、むしろ、

例えば子供のアモラルから学ぶこともあれば、

善悪の彼岸的視野のアンモラル水準は、

新しい発見、創造的な哲学、さらに「深化」また「進化」に不可欠でもあり、

当然に「人類社会」の「人間性」の未知の発展的プロセスであることは、

歴史が教えている事実そのものである。。

から、

これからはむしろ、「倫理」よりも、

「無倫理」と「超倫理」をこそ力学として、

たぶん漸く「経済倫理的自家中毒の反ないし非倫理」状態を打開すべき、、

(それこそ)「時代と社会」になりつつある。。

つまりは、

貨幣経済」自体が「倫理的自家中毒」なのであるから、


わかりやすく言えば、

食うためと世間から外れないためと、

寄らば大樹の陰のためと、とっとっと・・

一方で面従腹背のストレスと、・・・

尾を噛むヘビの運命の輪、なのであるから、

どうせなら、「超倫理」の美学がこそ「緩衡域」をもたらすでせう。。


で、なければ、

「近代」なるものの存在価値は逆にゼロでしかないでせう。。

なにしろ、この世には、「無価値」なものはひとつとしてない、

という「生態系原理」が正しいならば、ですが。。

また次からは「超倫理学」的考察なんどを、

「学ならぬ楽」として、・・と、ホモサピルーデン的に。。

に、しても、

ヤフーブロガーとココログブロガーの質が落ちてますねぇ・・

てより、

ブログがメジャーになったので、でせうねぇ。。