「靴投げゲーム」についての雑感
靴投げ当人は「ユートーセー」だったための、
事後の自己嫌悪、ないしは無力感でせう、
ひとまず自国の長には「醜い行為」だったと謝ったコトは。。
ここで、
ただし、
あちしもかつてジャーナリストを目指していた立場から、
同時にジャーナリズムに失望して止めた経緯から、
あの事件をすぐさまゲームにする発想を、
基本的には支持するノデRRR。。
ソレで何かが変わるかどーか、
たとえばドリフの「もしも・・」や、
シムラの「バカ殿」スタイルの「戯画化」が、
にもかかわらず、
いつのまにか実際的には「バカ殿・バカ様」がマン円しつつ、
「もしも・・」の一般相似形のマン宴とともに、
それらに慣れて、
いつのまにか親しみをカンジダ邪ねー感じてしまうコトが、
だとしても、一方で、
笑いは大切でRカラ、
悶大ハ、
笑いは駿河の苦にハ茶番の顔利・・
ソレと「権力犯罪」を分別ゴミにする「知性」は必要でアリ、
ここで言う「知性」とは当然長良川、
ペーパー痴性の「喰うロン」のことではなく、
たとえ「みぞゆ」と言ったとしても、
そのこと自体で知性をウンヌンするのでなく、
首症ならば原稿が読めないならば漢和辞典を引く手間を惜しむな、
タマタマ、みぞゆ首症はペーパー知性すらナイが、
当然に最も必要な「経験知性」のかけらもナイゆえに、
その「経験知性」の原則からは、
ひとまず、
ソクラテスへ戻りんしゃい、
もっと現実的には、
ムロン、鉄の時代に、
「王朝封建制度」への回帰などはありえやせん。
それを女序ニ、考えませうか寝ぇ。。