Amazing Grace にまつわる「思い出」あれこれ(歌詞・曲つき)1前半
今回はクリスマス月にちなんでの余談。
まずは、ヒストリーつきの以下から。
まずは、ヒストリーつきの以下から。
■歌詞
Amazig grace, how sweet the sound
That saved a wreck like me
I once was lost but now I'm found
Was blind but now I see
Twas grace that taught my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils and snares
I have already come
Tis grace have brought me safe thus far
And grace will lead me home
Amazing=驚くべき・素晴らしい Grace=優美・優雅・気品・魅力・恩寵
wreck=難破・身代をつぶす Twas=it was fear=恐れ・不安
relieve=和らげる・救い出す precious=貴重な・有り難い toil=骨折り・苦労
snare=罠・誘惑 Tis=it is thus far=この程度まで・ここまで
Amazig grace, how sweet the sound
That saved a wreck like me
I once was lost but now I'm found
Was blind but now I see
Twas grace that taught my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils and snares
I have already come
Tis grace have brought me safe thus far
And grace will lead me home
Amazing=驚くべき・素晴らしい Grace=優美・優雅・気品・魅力・恩寵
wreck=難破・身代をつぶす Twas=it was fear=恐れ・不安
relieve=和らげる・救い出す precious=貴重な・有り難い toil=骨折り・苦労
snare=罠・誘惑 Tis=it is thus far=この程度まで・ここまで
この曲を初めて耳にしたのは、「SF映画」だったか「前衛・暗黒舞踏」の舞台であったか、 ちと定かではない。 と、いうのは、そのころ、私の「現世」時間感覚が茫洋としていたからだ。 ただ、いずれにせよ、そう前後していないし、「宇宙の旅」の方はバグパイプで、 「舞踏」の舞台は+オーケストラであったのと、それぞれの視覚場面とのバランスで、 「舞踏」での印象が大変に強力であったこと、 して、すぐあとに、「某」ホテルの有線から「場違い」に流れてきた…、 愛聴曲となったのは、それ以来である。 当然のことながら、これがカソリックのではなく、一種の「民族音楽」的「賛美歌」であるとは、 知りようもなかったし、歌詞があるとも知らず、題名も知らず、よってレコードを探しようもなく、 やっとこさ、95年ころ、CD店で見つけ、ポイント交換分として手にいれた。 それもTVのCMで流れていたことによって題名が分かったという次第。 ・・・ この曲にまつわる「追憶」感覚については、またまたいずれ、で、 ただ今は構想途中で停滞している「3355」ページからの延長として、 他の姉妹サイトとも関連づけつつ散らばすつもり。 ともあれ、たとえば、「世界残酷物語」のBGMにラブソング・メロディが流れるという みごとな「落差」概念の「唸り」を、かつて私は大学一年のときに経験したが、 この曲もまた、フーガ的普遍性として、わがお気に入りである。 この曲の高貴ともいえる「優しさ」は、現実の「残酷さ」を超えつつも逆に明確化する。 ちなみに、軽い喜劇か恋愛ものを見ようとデートした途中で、「世界残酷物語」が目に入り、 強引に誘って、相手のあまりの「恐怖」に途中で映画館を出て、 しかし、食事は楽しくしていた、けれど、それっきりになった「空騒ぎ」的「思い出」と、 この曲は種類は異なるが、やはり「場違い」な「思い出」ある曲として、 音楽・歌謡というものは、妙な「因縁」を呼びさます存在であるにはちがいない。
ジャズだかエレキだか、カリプソだかサンバだか、ともあれ、 こういう風にアレンジしてみると、もとの曲調は消えてしまう。 かつて、エレキギターが登場した折に、ある意味で人は「攻撃的」になるもんだ、 と、 しかし、一応の「平和」と高度経済成長の波のなかでは、「若さ」というものは、 「わが世の春から夏」を、ひたすら元気よく泳ぐのが当然だから、 考える間もなく、スイングしていた、その頃に、 私がこの曲に出会っていたとしたら、 まあ、初めはこんなもんだったでありましょう。 というわけで、 一応の「平和」も経済成長もなくなりつつある昨今、 「若さ」というものが、その若さゆえに、アンビバレンツな引き裂かれ方をしている、 Monkey businessの余裕をなくしつつ、このアレンジ的なスイングにも半身ずつの冷め方乗り方、 という事態もまた、しかし考えてみれば、「宴のあと」、 かつての「乗り乗り」の時代にあっても、 人には「疲れ」というものは当たり前にあったもんだ、 その、ふとした隙間には、やはり、口直しならぬ「耳直し」、 で、次のアレンジへ・・。