「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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Amazing Grace にまつわる「思い出」あれこれ(曲つき)2後半

■オーケストラ風Amazingについて


オーケストラ演奏というものが、どうしてあのように仰々しいのか、
たぶん「宮廷音楽」の延長・名残だからであろう。
けれども、いまどきなぁ、というのが率直な感想である。

オケにかぎらず、クラシック音楽に対しては、
私の育成環境からは全く縁遠かったので、
それらについては「おじょーさま・ぼっちゃま世界」という、
まるで異星人の感覚であった。小中学の音楽で時に聴き、
音楽室の肖像画を眺め、知識として習ったとしても、
がさつな環境のなかでは一向に定着せず、
たとえ「曲の感じ方は正しさに加え鋭さがあります」と評価されても、
逆になんのこっちゃ…と、どっかの知らない世界の出来事にすぎなかった。

しかしながら、西洋の主文化であるクラシックをタダで聴けるというメリットは捨て難い、
よって、高校では選択しようかと考えたが、先輩女性が小脇にかかえていたコーリューブンゲンを見せてもらって、
これをやんの? そう、てなことで恐れをなしてさっさと切り替えた。

生活環境に浸透するという点からは、日本の流行歌も一部そうだが、
実は小学高学年から中学のころ、エルビスのハートブレイクホテルが西洋音的ショックだったのである。
続いてデビル・イン・ディスガイス、これが私が最初に買ったレコードである。
モーツアルト流に言えば、「恋」とはこんなものかいな…

むしろ、異文化であるはずの外国ものが、
自らの置かれた「純?」日本風ダラダラ環境への違和感の部分と符合した、
けれども、実生活環境の何たる強さ、
その心的摩擦のなかで、成長とともに、実は「音楽」が消えていった。

そんなある日、このAmazingあたりから「音楽」が突然に復活した、と言えるかもしれない。
つづいて、別のまったくもって下世話な原因から、クラシックを聴き始めた、
あるいは「音楽」に飢えていたのかもしれない、それは心理学的な意味であったかもしれないし、
もう少し昇華した意味であったかもしれないが、
自らの環境の音楽的貧困を、親のせいにするのか時代のせいにするのか、
日本のせいにするのか、ともかくも、Art関連の「仕事」のなかで、
余りの自らの「音楽不足」を疑った流れであったようだ。

違った言い方をすると、俗にパロディ化されている、または余りに「定番」のベートーベンを、
論理的に見直す作業の必然で、ベートーベンを「奇跡」にしたらしいカラヤンの指揮を聴いてみたかった、
加えて、ずっと後のことだが、テレビで紹介されていた、
ん千万円のパガニーニのバイオリンの音が、???と疑わしかった、
まもなくのち、そのバイオリンが贋物であったという、してやったりの事件、

…これで少しく納得はしたのだが、
要は学校の「評価」より、どうにも気のおかしくなりそうなジパング・ミュージック(ないしArt・詩)への、
自らの拒否感覚をまさに実感的に証明するためともいえる動機から、
クラシックについてのほんの「小勉強」を開始したのである。

で、いうまでもなく、やはりセバスチャン・バッハとベートーベン、
とショパンのピアノ、に尽きる、というところで、ただこの交響楽の形式は、
ベートーベンの第九からが、未だとどまっている、まだ始まりのままかもしれない。

というよりも、人為の音楽としての「交響」の限界、
プラトン流には、「実在の影」を逆証明するベートーベンの「挫折」ともいえる。
あるいはバッハのフーガのままで良かったのか、しかし「近代のあけぼの」での、
「交響」へのこだわりは、優雅にピアノにこだわった?ショパンと好対照の、
それこそバッハの「対位」的スタンダードである。

とは言え、もともとクラシック形式は「王権神授」の下でのものであるから、
「近代」にはそぐわない。むしろ「個人」を「科学と経済」を新たな「神」とするならば、
「作曲家」や「楽団」はそちらに奉仕するスタイルとなるわけだから、
内実の形骸化は必然であって、
「交響」は個々バラバラの、せいぜいグループに分解せざるをえない。
事実、各オーケストラは、その「悩み」とともにあるようだ。

と、ある時ある日、10年来の安物のステレオが変調子になったころ、
突如耳元で聞こえた「運命」の音調は、「奇跡のカラヤン」もあっとおどろく、
天の音楽かとまごうものであった、…(念のため、ただ一度だけのホントの話)
という幻聴かと「疑わしい事実」を経験したところで、この時から「音符」はステージや形式から解放され、
全てのレコードを売り払った、というできすぎの一節。
(今から思うとレコードはちともったいないことをしたかもしれない…ただ今の下世話感覚)
で、さて、しかしこのシンフォニー形式はたしかに捨て難い、けれども…??


■ホテルのレストランバー風Amazingについて


イメージ 1 イメージ 2

都会の景色、高層ビルの視界がほっとする時期があった。
好んで高層ビルの最上階のレストラン・喫茶を選び、
ないしはシティホテルの無機的な部屋とガラスごしの夜景、
真夏のまぶしい光のなかで、ハイコントラストのプールサイド、
まさしく「写真」の季節であった。

TOKIOでは、皇居前と神宮外苑が、みどり、というのではなく、
とある「傾斜角度」においてわが好みの場所であったが、
それはむろん、赤坂あたりのある地点、青山あたりのある地点、
ただし、六本木でもなく、原宿・渋谷でもない、
人のいきれがふっと途切れてしまうかすかな瞬間が似合う、
あるいは変哲もない「曲がり角」ないしは「滑走路」の視界と同位置であった。

Amazing Graceと出逢ったのは、そういう「写真」の季節であったために、
ホテルのレストランバーで、ピアノの生演奏が漂っていたそのおりに、
やけに聞きたくなったことを覚えている。
歌詞も知らず、題名も知らず、耳に残るバグパイプとオーケストラの記憶は、
しかし、ピアノ、それもコンサートスタイルではなく、ジャズ調でもなく、
邪魔にならない、誰も傾聴しない、それぞれがそれぞれの談笑をしている、
そのバラバラの、ややすました都会の夜の空間に、
ぴったりとふさわしい似合いの感じがした。

この曲は、かように七変化をする曲である。