「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「出奔」という概念あれこれ・・・(復刻記事3)

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●「出奔」とは「逃亡して姿をくらますこと」だが・・●(02/11の復刻+α)

むかーしむかーしの幼いころ、
「逃亡者」という連続TV番組があって、
なぜか「名犬ラッシー」というホーム性ドラマとともに結構はまり込んでいた。
どっちが「自分」なのか、当然に両方ではある。
けれども、やはり選択はつねに、「一所不在」の、
そして「パニック真実」のほうであった、
というのも、
こちらが経験的実感、ホーム性が夢(まぼろし?)という環境的位置付けだからである。

今だから、「式なし入籍だけ結婚」「夫婦別姓対応」は当たり前のようになっているが、・・・
(Now後注:夫婦別姓にまだ反対しとるチョー保守輩の気が知れん。。やっぱギインも65才定年にすべし。で65-70までは生活困窮ギインに限り「雇用促進」のために「時給制」で特例とか。)
・・・私の青年時代には、姻戚からは「犬猫じゃーあるまいし」と言われ、
近所からは「同棲」視されていて、極少数派への風当たりは強かったのである。
「できちゃった婚」なんてのはずいぶん昔からあって、
しかし、だからケッコンするってのが「なんじゃそれ?」と…

私は念のため「できちゃった婚」などはしていないし、
万万万…が一、そんな事態に、ならないための科学は心得ているし、
しかし万万万万…が一…を空想域の仮定としてみると、
それでも「ケッコンしてセキニンをとる」などという方向はない。
で、よくあるドラマ「おろして」などという方向も当然ゼロパー。

親はなくとも子は育つ、(親がないほうが子は育つ)
というのがわが実感であり、
ともあれ物欲ケツ婚ならさっさと離婚してくれ、
というのがわが親への望みであったから、
子供のために、といういい訳は、うさんくさいのである。

ということで、しかしともあれやっとこさ、
日本も風潮は「近代化」とは言い得る。
しかしそれも、あくまで「風潮」で、根っこは貧弱と思える。

根無し草というのは、結局は「風潮」であり、
実は「一所不在」「漂泊」のことではない。
現象としては似ているが、
後者は自覚的「出奔」でなければならない。
そこに「Para-Dox=並行理=逆説」の存在位置がある。
(Now後注:例の龍馬も脱藩=出奔=逃亡者だったのだが、費用をどーしたか・・姉の乙女サンがその後もけっこう調達していたという話で、あと、親戚のコネ基盤で某外国商会と・・など、その点で、あちしは、龍馬が人に「好かれ」ていたのは、身分は低いが、それなりに親兄弟姉妹に恵まれていたところの、十数才まで寝小便してたとかの「甘え坊や振り」、生活基盤が保障されたところの「偽の出奔者」としての「怖いもの知らず」による、・・・と、経験をふまえて後日そう考えた。。この件は「暗殺」をめぐるあれこれで推察してみやうと。。)
・・・
●出奔費用の調達・・・●

大手の都市銀行が、公的資金つまり国民の税金を投入せざるをえないような、
「放漫経営」をしておきながら、一向に「逮捕」もされず給料をも下げない、
で、「プライド」だけは超一流とか、実はこんなものは「プライド」とは言わない、
単なるスポイルド・チャイルドの延長にすぎないのだが、
中央官僚や政治家とともに、「自己責任」意識のない、

しかしながら、日常を顧みてみると、
自分の子供、お隣の誰々さんは「一流大学、一流企業、政治家のセンセ、有名人…」云々と、
これ、「家族」や「世間」がそのようにこの国を支えてきたといえるし、
今でもご近所・知り合いレベルになると、そのようである。

今般、現在地「出奔」にあたって、
とある地方銀行と交渉することになった。
「出奔予定費用」の約半額を貸してくれ、というわけで、
基本的には私の「経済生活」が「素っ裸」にされつつ、
しかし、ともあれ、なんとか「規定どおり」の範囲だったので、交渉成立、
めでたいのか、どうかはともかく、

確かに、私がかつて少しく経験した大手都市銀行の「慇懃無礼」とは異なった。
時期的に、小口貸しが「商品ラインナップ」に入っているということもあるが、
少なくとも、「ふつう」の人間の商売の感触内での対応であった。

銀行ってのは金貸しの親玉じゃー、かつて「アイス」と呼ばれた「高利貸し」が、
(このだじゃれを私は「金色夜叉」で知ったのだったが)
今や堂々と上場企業として「ニッコリ」奮戦している時代にはるか遅れて、
なぜか「利ざや稼ぎ、金貸しブローカー」意識のなかった保護的エリート銀行が、
個人ローン向けに「ニッコリ」し始めたとしても、慣れない笑い、
頬マッサージが必要なくらい、目が笑ってないっちゅーの。

それに比して、地方に密着しつつ中小を顧客としていた地銀のほうは、
十分にニンゲンの範疇であった。
むろん、一方で逆にブローカー意識まるだしの地銀もあるようだが、
今のところ、私の直観選択相手は間違ってはいなかったようだ。

新「漂泊地」にはちょっと入り口を塞ぎ加減の松がある。
枝を刈らないと、そう大きくもない私ですら屈む必要がある。
で、たまたま近辺のそこそこ立派な家で、植木の手入れをしている作業服の年配の御仁が目に入り、
てっきり植木屋さんと心得て、ちょっとお尋ね、…したところ、
何とその家のご人であったわけだが、
私の「誤解」を気にするでもなく、親切に松の特徴についてご教授いただいた。
念のため、私は見知らぬ他人にものを問うときは、それなりの礼儀は心得ているから、
植木屋さんと間違えつつも、その聞き方を、そのご人、判断されたのだろう、
このへんが、ニンゲンコミュニケーションのあり方である。

足元を見る、とは、旅館業の用語らしいが、
初見の客は一万円より一円の客を大事にしろ、という大阪商人の「哲学」もある。
さて、ちょっと「日本文化」をかような視点から洗いなおしてみるか、と、
このへんはまた「出奔」完了後、わが「現場」に譲る…。

冒頭写真は手続きに役所へ行った、そこからの風景。ま、費用調達決定後の出奔先居留場所確保のせいか、やたら長閑な天候どした。ついでに万札見本は、これ、福澤諭吉ってのも正解のうちだが、いっそ次は龍馬がエエかも、と、とまれ、万札のまとまり束は、ターシカニー、人に「説得力」のあるもんだと、実感(笑)しつつの、しかし「長閑」とのアンビバレンツ「真実」のため。。