「ペンネーム」or「芸名」というもの
葛飾北斎が、ブレイクするまでに60回ほど(!?)も、
画家なのでペンネームてより「ペインターネーム」を変えた、
文芸にあっては本名よりも「創作ネーム」をつける、
という慣習は、「号」として歴史的伝統であり、
文芸に限らずとも、
「名を付ける・与える・変える」慣習は、
「出世」にまつわる普通のことだったわけで、
(ま、そもそも親の姓と誕生とともに付けられた名はそれはそれ「幼名」として、)
「成人」以降の「選択」を尊重ないし当然化する「必然」がこそ、
これまた「歴史的伝統」であった。。
本来は「本名」なんてーのは「もとの名」程度のもので、
自分の姓名くらい自分で選ばせろ、
ある意味「自由」なのが「文芸」の「雅号」となって、
あぁ、「文芸」は(出家も加えるか? ついでに戒名も・・?)
あらゆる「俗世制度破り」としてのみの位置がある。
ところが・・以降はマタ後日、具体的に??
・・・
で、あちしもアレコレ「ペンネーム遊び」をして、
たまたま「受賞=出世」したのが、
「伏久田喬行」(今でもコレで検索すると出マス)どして、
その後は「ブンゲイ業界」にアキアキうんざりして、
業界名簿には、ある意図で「伏田喬之」(コレでは無仕事なので検索は出まへん)
と変えてもらって(業界名簿には載ってマス)、
集約的には「雅」号」という、
つまりは「文学・芸術」は「みやび=宮び」、
たとえ当初が「ひなび=鄙び」であったとしても、
「超現実精神世界」の戦いこそが、
「みやび変遷」のあり方なので、
さありて、あちしも「他のペンネーム」あれこれ検討中。。
とかとか、
「雅」もまた「普遍真理実現」には程遠いので、