「間」というもの・・・(復刻記事4)
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●引越し準備あれこれ●(02/11の復刻) 引越し準備に先駆けて、ある意味で仕事上仕方なく取っていた新聞を止めて20日が経過、 不便かと思いきや、極めてすっきりとした気分である。 この調子だと、もういらねぇなー、という結論である。 インターネットでけっこう社会情報は取れるし、詳細がなくとも、 むしろ新聞ですら、見出しラインナップで大体のことは分かるし、 いわゆる「キャンペーン」という問題深化・追及の妙味ある記事も希薄となっているし、 ただふたつ、週刊誌の広告が見られないことと、安売りチラシが手に入らないことだけかも、 と、チリ紙交換も来なくなったこのごろ、めんどーくせーリサイクルに出す手間も省けるし、 だいたい新聞社がすすんで古紙を回収せんかい、と、…。
これでひとつは「間」ができた。
・・・ついで、 先に、新居留地の役場へ、駅から歩いて15分くらいなのだが、 ちょっと慣れない朝起きしたために寝不足で、ちょいと市バスにも乗っておこうと、 駅員のおっちゃんに乗り場を聞いたところ、「海岸線の一本道、歩いたほうが早いよ」、 てなことで、おっちゃん少しは市に協力しーや、とはいえ、 歩いた結果、逆に散歩の気分がやってきて、帰り道は別ルートをとったところ、 何でこんなところに銅像が? と、例の「放浪記」の芙美子さんが大正ムードでしゃがんでいる。 ふーんと、ここでも「間」のある気分となって、すぐ先にベンチがあったので、 ・・・と、ななめ後ろになにやら「視線を感じた」というできすぎではないが、 その「一服場」ベンチの私の位置へ銅像の芙美子さんの視線がぴったしなのだった。 ふーん、けっこうキュートなんだった、 と、しかし、これ、 じーっと「目線が合う」ので、「では後日また」てな雰囲気で、 市に協力しないJRのおっちゃんの、人の事情を考えない助言のおかげ、ではあった。 何を意味している、のではなく、何を示唆また暗示しているのだろう、 とは、ユングを読む前に、私が不可思議に「経験」し既に慣れていた「気場」である。 言い古された「間」という「認識」でも「感覚」でもない、 特有の、あくまで「気場」としての、時間感覚が停止した永遠の「間」の浸出という感覚だ。 これが、「わが間」の「サイン」である。 10年も購読して、当初1カ月と端数だけで、以後何のサービスもない、 止める時に、せめてあと1カ月サービスします、と、言われても、 処分が面倒なので断るつもりではいたのに、言わない、 これなら、3-6カ月ごとに替えていた学生時代の方法がやはり賢明だと、 どのみち、レベルの低い新聞はもういらないが、配達現場は不況じゃのーと、 同情はするが、ちょいとした簡単文に400字10万(伝聞推定)も払わずに、…。 とかとか、おっとっと、さてさて折角キャッチした「間」を戻そう。 ・・・ 「間」という字は、もと「門+日」ではなく「門+月」であるのだが、 たとえば「易」という字が、「蜥蜴」の象形であるという通説を、 私は基本的には採らない。 むしろ「日+勿(れ)」ということで、 太陽の生み出す現実は「まぼろし」である、という位置付けから発してみたほうが、 「易経」の妙味が浮かび上がってくる。 「ま」が、真昼に発するものか、深夜に発するものか、 というデジタル的な比較ではなく、 たとえば「うら」が心のことであるように、 真昼であろうが深夜であろうが、「ま」はふと訪れる。 高等西洋占星術では、月の入っている星座を心のフィーリングとし、 太陽の入っている星座を体質とする。 して、運勢・外貌・総合判断は「上昇宮」を基準とするらしいのだが、 実践的に、そのようである。
よって「ま」は月の作用とするのが当然である。
この「誤差」は、たとえば「数霊術」にも言える。 太陽暦による2002/11/21=9という「数の魔術」は、当然に太陽中心の「術」である。 日本やユダヤ、ないしイスラムは太陰暦により、月を中心に「数」をかぞえる。 が、キリスト世紀を、クリスチャン外にも「数」として「影響」させる理由と、 キリスト以前はどうなるのかを考えてみると、 うーん…と納得しがたくなり、 しかし、現実にこの、生年月日を1-9に単純化した「占い」は、 わりと「当たっている」部分があるのである。 と、同時に、たとえば日本にあって、皇紀2662/10/17=7と数を1-9に単純化したら、… これは、ひょっとしたら「うら」の数となるのかもしれない。… 実際、太陰暦による「裏霊数」を試みてみると、 ははぁ・・という感覚がある。 などなどと、新居留地の「門にかかりすぎている松」と「ま」との連想で、 「桜が仏、竹がキリスト、ただ今は梅が弥勒を松の時代」(とある託宣) 「松は樹木の守護神なり」(日蓮)とかや、… …
ふと「ま」がありすぎた時期の「うら綯い」研究の「ま」がちょいと蘇った。
●「間抜け」の元凶=役所と町会● と、思いきや… 二十坊主はよく見られた、東京に比べれば「ま」があるにはあった現在地が、 補助金行政で道路工事をやっていない時がなく、とんでもない「赤字」村でありながら、 公務員がやたらに威張っていた、それが市長の交代とともにやけにニコニコし始めた、 と思ったら、町会が、補助金(税金)を受けていながら、 ゴミ捨て場を、税金を払っている非加入者を排除する結果となる鍵つき「鳥かご」にしたために、 ないしは、ゴミ行政の、町会非加入者の権利を無視した「鳥かご」奨励の、 実は町会よりかかりの怠慢「奇麗事」のために、 奇怪な「奇麗事の、体の良い村八分」という人権侵害促進問題と、 単なる任意団体にすぎない町会との税金使途に関わる汚職に近い「癒着」が重なって、 捨て置けない「間抜け」事態となってきた時期に、 奇しくも「出奔」することになったことを、 Good timingだとしても、 まことに生活次元に「ま」をみつけるのは困難である。 当面、次の居留地近辺には、町会はあるが「鳥かご」はない。 将来的に出来る可能性は、スペースの事情からみて殆どない。 が、市政は必ずしも近代化はされていない。 そもそもこの、前近代の、 戦前の翼賛体制の名残りである町会なるものが、近代生活のなかで堂々と生きている、 のみならず、生活基盤に不当な規制をかけてくる事態は、 すべからく行政の間抜けぶりによる責任であって、 これ、将来的に、敷金返還問題がそうであるように、 裁判多発になりそうな気配がある。 ごみの集積所については、基本的に明確な法律はない。 「鳥かご」を作り始めた理由は、犬猫カラスに加えて、法律違反のごみ投棄を防ぐためという。 しかし、それならば、団地など共同の私有地以外は、町会ではなく行政が管理運営すべき性質のものだ。 して、町会は任意団体であるから、非加入も自由であり、 捨て場所が団地共同の私有地であった場合、町会非加入住民はどうせよと? 公道ならば、先に述べた通り、行政があとの掃除も行なうのが当然、 規定どおりの出し方をしている以上、住民はどの公道の集積場所へ出すのも自由である。 にもかかわらず、多くの行政は、町会任せにしたまま、 町会非加入者の「ごみ出し権」を軽視している。 ごみ以外にも、補助金の絡んだ行政-町会の癒着はある。 戦時中に上意下達で出来上がった隣組と変わらぬ体質の町会とは、 大義も名分もありえない、「世間」なるものの日本の癌と同類である。 単なる任意親睦団体にすぎない町会に、人権侵害の越権機能を与えているのは、ひとえに行政である。 何を根拠に、町会を「政治行政」に参加させるのか、 こないだ止めた新聞も、この問題を追及すらしない。 日本全国で、町会のないのは多摩市と日野市だけだそうである。 日本の国際化は、ちょっととんでもない現状だと言える。 現在的に、新居留地の町会の実体は不明のため、予断はできないが、 またしても、の間抜けがあった場合、間を取り戻すには、 ごみを徹底的に出さない生活形態とともに、 処理場へ直接持ち込む方法しかないかもしれぬと、 考えている今日この頃…。
Now後記注:「鳥かご」管理はないが、固定資産税・都市計画税にまつわるデタラメな実態が判明したので、この件は「サギ行政」への「一部勝利」「闘い継続」として、後日また。。
写真は「芙美子像」ほか「クサイ街あれこれ実態」とも考えたが、これも後日「クサイ観光地」としてまとめるほうがよかろーと、・・ひとまずは「間・ぬけ」にちなんで、おっそろしー観光スポットのひとつを。。