流れを読むのは難しい・・(復刻記事6)
●「セコハン」とは?●(03/1の復刻) セコハン、という言葉がある。セコイ、と悪く使われる(と私は思い込んできた)。 で、リサイクル時代がやってきた。 リサイクルは、当然に、そして「リフォームの達人」、もまたセコイのである、と。 修理というものが、いつしかセコクく、買った方が早いし安い、 で、ものがオシャカとお蔵入り、 をもたらしたのは、何を隠そう経済界である。 で、隙間産業なるものが、やはりセコく発達した。 して、地球環境の汚染から、 いまや優劣は逆転し、セコいことが善となり、 昔からセコかった私などは、大変に居心地が悪い。 私は「善人」になどされたくないのである、と考えてきた。 愛着があってもったいないから捨てない。金がないから買えない、 しかし不自由だし、時代の美学もあるからカッコはつける。 だからアタマを使って改良を考える。 というだけの事実を「善人」にされてはタマンネー、と。 一方で、 「○○は環境に、人に優しい企業です」などというセコさをみると、 ゴミの分別の責任転嫁の「善人ぶり」をみると、 見積もりや契約を曖昧にする、約束を反故にするセコいのをみると、 ふざけんじゃーねーとむかつくから、 やっぱり「善人」かもしれない?? と……。 と???… 「せこい」という言葉は、通常「けちくさい、狭量、ずる賢い」などの意味で使われ、 その出所は定かではないことになっている。 「辞書的」には、「世故」か「勢子」を当てて解釈しているようである。 ないしは「狭所」にも通じる。 世故に長ける・通じる、勢子を入れる、という慣用句は、しかしもとは悪い意味ではない。 私が思い込んできたセコハン=second hand=中古、おふる、の方が見下げた意味を持つ。 のであるから、てっきりこのセコだと思い込んできているのである。 時代が変わって角度が変わり、主観の判断が加わって、 言葉の意味は変遷するのであるから、 伝聞によれば、「せこい」は大正時代から使われているそうで、 だとすれば、「大正ロマン」の見地から、世故や勢子の価値観が否定的とみなされ、 その用法が残ったと考えるのが自然かも知れない。 で、近代の進展のなかで、世故・勢子は、営業の鉄則であるから、 本来は堂々と「復活」すべきであるところ、 いや、実は復活しているのだが、なぜか堂々ではなく、 むしろ建前・本音の構造のなかで、「ロマンぶり」がややこしく働く結果となっている。 で、私は今、「ちゅうぶる」の居留地にいる。 して、さまざま、「ちゅうぶる」を修理しつつ、 前居留者の「建前本音」の生活状態に呆れつつ悩まされつつ、 やっぱりセコく、改修を試みているのである。 予想どおり、より以上の「故障状態」で、 相当「たたいて」おいて良かったと、これも「世故」のうち、 これ、けして「善人」とは言えまへんなー、で、ほっと一安心…の、 流れを読んだのかどうかはまだ先の、落ち着かない日々はまだ続く。