「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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「中古新居」不具合修理の日々(復刻記事7)

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●チリも積もればヤマとなる●(03/1-2の復刻)

引越し労働をやっているあいだは、かなりのハードスケジュールにもかかわらず、
風邪などひく暇もなかったほど「元気」で、おかげで3-4キロはスリムにもなった。
ところ、土台となる箇所の「セコハン仕事」が大部分を終了しかかった途端に、風邪をひいた。
で、まだ荷物は1/4くらいはダンボール状態、こまかい「セコハン仕事」は継続中、
落ち着かない日々のなかでも旅行状態を脱して新居留地に「安住」開始できるのは、
あと1カ月くらいはかかる予定である。

日常生活をしながら、あそこをちょい、こちらをちょいと、
ついてはいるが締まらない(不思議な)ドアの修理を二つ、
風呂場の補修をやったところで、一度治った風邪がぶりかえし、
などなど、身体が覚えている生活のテンポの変化が、
実際、これほどストレスになるとは…。

むろん、引っ越して、並べ替えるだけならば、
テンポの変化にはすぐ慣れるほうであるから、苦にはならないが、
「ちゅうぶる」というものは、時間差で部分部分がぎくしゃくしてくるので、
総体の計画が立てにくい。
当初から、だーいたいの予測をたてて、ねじくぎだのボンドだの、
修理材料はあれやこれや用意はしたのだが、「故障」は意外性を帯びてやってくる。
ねじは25ミリの見込みが30ミリ、こちらの予定配置とコンセント位置が遠い、
窓ががたつき、調節部分のねじがバカになってる、ので隙間テープや「便利締まり」、
…というコマかーい材料の追加が続々と、行ったり来たりの日常は、
生まれつきセコい私にしてからが、呆れるほどの前住者の「溜め込み」である。

ひとつひとつ、その度に修理していけば簡単だったものが、
チリも積もれば山となるの諺どおり、よくもこんな状態で、
ひとつひとつのプチ障害を溜め込み続けたもんだと、
これまさに、受験指導に応用できる出来事じゃーと、
仕事場で受験追い込み講義をしつつ、何やらダブるイメージともなってくる。
風邪はそのせいもあるかもと、そろそろ最終スパートで、春を読みたいものだ。

●「換骨奪胎」がピンとくる・・●

換骨奪胎という言葉がある。
もとは詩文に関してであり、国語辞典では一種の「詐欺」的な意味あいとして解釈されている。
他人の作品の焼き直しを行なって新しい作品かのようにみせかける…。
が、
セコい、と同様、私は悪い意味には受け取ってはこなかった。
ばかりか、むしろ積極的に「あるべき方法」として理解した。

本歌取りの習慣や、瞬時の作り変えについては、日本古典では誉められることである。
ニュアンスとしては「知識」と「応用」のレベルということになる。
で、出典である「冷斎夜話」は日本の五山文学に影響を与えた「禅文学」の範疇と位置付けられている。
ついで、換骨とは、道家の説では仙人への方法論となっている。
という、判断材料はともかく、
【その意を換えずしてその語を造る、これを換骨法と謂い、その意を規範としてこれを形容す、これを奪胎法と謂う。】
という原文は、まさに「学問=真似び」の基本と言える。

だーいたいにおいて、しかし現実は、いつのころからか、
やはり近代から、本歌取りや「替え歌」という知的ゲームではなく、
どちらかと言うと「盗作」のニュアンスが強くはなっている。
国語辞典がそのようなニュアンスの意味付けをしているのはそういう流れであろう。
率直に言えば、学術が上部構造の条件となり、個人の自己主張が経済とステイタスに関わるにあたって、
結局は二番煎じ三番煎じにならざるをえない、という必然でもある。

ただ、問題は常に、冷斎夜話の「その意」である。
ちゅうぶる、の、例えば「家」における、「意」にあって、
「家」という概念は変えようがないが、さて「語」を造るとは?
「家」という概念を規範とする、とは? さて「形容」とは?
と、ひとまず置き換えてみるとすると、
結局はリフォームと、使いかたということになる。
この点で、しかし、新築と中古は、概念としては同様である。

基本的に、換骨奪胎とは、行き詰まった「ちゅうぶる」に関して、
抜本的に構造改革をして蘇生させる、
というのが私の理解でありつづけてきた。
しかし、全部を「新品」に取り替えることでもよさそうだし、
理念としては、いったん解体して立て替えることでもよさそうである。

いずれにせよ、これはソクラテス-プラトン哲学じゃーと、
未だに帰る方向=ホームが正反対に無意識が慣れておらず、
あれこれ考え事が巡っているとふっとかつての方向のプラットホームへ登ってしまって、
寒さのぶりかえしでうんざりしつつ、
修理予算パンク気味の原因もあって、セコく構想しつつ、長引いている「落ち着かない」状態も、
かえって私自身の換骨奪胎という流れではないかいな、という気がしはじめた。

まだまだ「準備中」の、ランダムに散らかしているHPも、
なにがしかの「その意」に沿った構成へと集中させるべきなのか、
もう少し「散らかした」ままに流しておくのか、
さて、もすこしあったかくなったら考えよう。
て、ゆーか、この「考え」も「流れ」とともにあるので、
なんともはや、の、今日このごろ、……。

冒頭二枚の写真は、上記記事とは直接の関係はないトコロの、ある夏に昼間からじーとしてたでんでん虫が、夜中に動き出したカットでR。。別に意図して撮るべく待機していたわけではなく、たまたまの発見タイミングだったのだが、子供のころに、でんでん虫は「四次元的空間移動」をするとか・・どこかで聞いて・・実際、あのスピードで、木から別の木や、この写真のように門扉にいつのまにか移っているので、さもありなんと信じていたコトがあった・・が、やっぱりこのようであった。。しかし、事実をしらないほうが楽しいのになゃ。・・・でココでは、生来、落ち着かず「短気気味」の私が、先にも書いた「間」と「自然の流れ」に「学ばされている」、その心境とともに、でアル。。ついでに、童謡「かたつむり」を以下に。この歌は、「虫愛づる姫」の作詞作曲デハナイカ!! と、その古文も後日扱う予定。