「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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当てにしないで獲得した「わが家」(復刻記事13)

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●「意外な縁」という「超俗不思議構造」●(03/3-4)

政治経済が「感性」を平坦化する、というのは、
かつて私が「アート批評家」であったころの実感である。

まずは「個展評」を、「アート評論家」の「公園デビュー」として、
担当させるべく、私を応援してくれる編集者が説教っぽく勧めたのだが、
そういう(つまり褒めほめ経済)趣旨ならば、できまへん、
要するに、私自身に「経済支援基盤」がないので、
たぶん、いくらホメホメ評論をセコク書いたところで、
究極はボロがでるわけで、

「アート」そのものではなく「アート的営業作品」紹介屋としては、
古今東西の現物を見ないとハクはつかないでしょー、
骨董と大差ないブローキングなんですから、
前提として世界観察旅行をできる資本がいるでしょー、
と、私は辞退した(せざるを得なかった)のである。

その辞退が、「生意気」なのか、
せっかくのチャンスに資本を集めないという、経済性の無さ、
同時にスポンサーのつかない存在、ということで、
所詮は経済法則から、私は「アート批評」には取り組んだが、
「アート的作品売買コピー」には関われず、さいならとなった。

なんだろう、これは、と、たかだか20台半ばの青春真っ只中、
しかし、根底には、私自身の「自己否定ショック」が、たぶんあったのだろうと考えられる。

むかし、6才のころ、3才の弟を電車事故で失った。
弟は、居候先で、私が毎日面倒を見る役目だった。
その1年ほど前、親同士のトラブルで、私と弟は某田舎の、母方の実家で過ごしていた。
その田舎で、よく川辺の土手へ遊びに連れてっていた。

たまたま、その日、
田舎から帰って居候していた先で、なぜか私が、眠っていて、
弟が私よりも早起きをして、私が起きないので、
一人で近くにある「土手状」の線路へ遊びに行った。
その居候先の「土手状の線路」へは、土筆とり程度のことで、
私が連れて行くときは、線路まで上らない程度の傾斜面で遊んでいたのだが、
私がいない状態で、線路まで上ってしまった、結果である。

●公認の「鬼」と未公認の「仏」?●

これが、私の「自己否定ショック」のトラウマ的意識である。
もちろん6才の子供の「責任感」などという超人的な話ではない。
母親に厳しく「お前のせいだ」と咎められた、ことを受けての事態であった。

泣き喚く私を、かばってくれたのは、
親戚のだれでも近所のだれでも、父親でも兄でもなかった。

その居候先に間借りしていた「オンリーさん(注)」であった。
言葉は覚えていない、が、普段はにこにこと穏やかな、そのオンリーさんが、
そのときにだけ、非常な激しさでわが「母親」を戒めていた、その記憶はある。

四面楚歌、の孤独の中、いわば意外な存在が私を支援する、
当然にその当時は「オンリーさん」の何たるやなど不明、
ときどき見る米兵の意味も不明、
ただし、「立場」もかえりみず、わが「母」に厳しく抗議するオンリーさんの有り難味は、
たぶん私を救ったにもかかわらず、

「世間」的には「未公認」の救いであった。

ついで、先に書いた、
私の中にある、もうひとつの「お妾さん体験」とともに、
この二つの原体験から、
私の価値観が確実に形成されている、と納得したのは、そののちである。

その間、普通の「恋愛-結婚-家庭」という流れが、
どうしてもイメージできない、そのために、
それを望むべく、あるいはそれにふさわしいだろう相手との、
しかし、それゆえに、超えない一線の遮断機が、自動的に降りる事態が続いた。

てなことで、漱石の考えた、
「女性の詩性」ということの妙味について、
漱石自身は「悪妻(実は普通の女性?)」に悩んだとかとかでありつつも、
育ちのトラウマ=世俗一般の「正義」からの距離感のなかで、
レーゾンデートルってか、
アイデンティティってか、
「どう生きていくべきか」を、

「水平空間理」と「垂直時間感」とのジレンマとして、

ただし選択モラトリアムの余裕がない「経済」として、

「迫られた」ときに、
直観的には「垂直重視」からの目前の「世捨て」でしかあり得ない。。

また後日、経過をたどってみようかと、…お楽しみ、というより、たどるべきかも、と、ボケいや母系社会の心理学的テーマでしょう。

(注) 「オンリー」とは、在日米兵(特に将校)が「雇った」「在日お妾さん」のことで、「星の流れに」的なオープン「売娼婦」から「1人に囲われ」たケースを言うらしい。onlyである。将校が「雇用選択」する以上は、それなりに「知性と外貌」を備えている女性のようである。・・・
<Now後注>
・・・そういう「流れ」のなかで、
現居留家屋を「手に入れた」経過も、
実はもう一軒、かなりの「田舎」に候補があって、
現地よりも安く、土地も広い、
そっちなら設備その他は相当不便でもやや余裕で買える・・

現地は、厳しい値段だったので、
まーダメ承知で「小観光」気分で見に来たのだが、
けっこうそれなりの故障だらけであったので、
修理にかかるだろう分を割り引くナラバ前向きに、
と、ダメもとで言ってみて、
のん気にブラブラ街を歩いて、
次の候補物件を検討していたところ、
修理予定額+αを差し引くと連絡が来た。。

結果、第一田舎候補地よりわずかに高いが、
余裕のうちに入るので、決定。

「流れに任せて目前の世捨て」方策が、
結果として、「思いがけずの仮の宿所有」をもたらした。

なぜココになったのか、
わが「納得」的「意味」は現在も不分明でアル。。
ただ、
ある種「奇想天外」の土地であるらしいことは、
そのようでもある。。

して、
「世間」的には「未公認」のフォローが、
ココでは何(誰)なのか、も、現在的に不明のまま。

ただし、
銀行への借金を無事払い終えた一年後に、
わが「ぶちきれ世捨て」の機会が「見事」にやってきて、
長年の経験からその「法則」を承知しているあちしは、
「ぶちきれ」を迷うことなく選択した、

のでRRR。

して、現居留地への、して現在への過程では、
今度は「お妾さん」や「オンリーさん」ではない、
女性ではなくむしろオトコの、
「三度笠」的ではあるが「公認」ではある立場の、
ひょとしたら俗的には「負け組」の、
しかし、くよくよ群れない独立の、
「風変わり男」にフォローされた(ている)、

この流れもまた、「ショウちゃん」以来のあちしの、
もう一つのてか、「セットの流れ」なので、
「意味するもの」を、
というよりその実現の「時」を、
ニンゲン以外の動植物とともに、
ウオッチングしている現在でRR。