わが「プロ著作」歴の(2)-24-25才の秋冬春・・■[なぜ<表現>なのか]■
■「批評」が初めて金になった日-まさか「芸術論」とは・・
(放置HPからの転載+α)
親の事業が崩壊し、ひとまずは大学をどうするか、
と応募したところ、採用されたので、
6年在籍するつもりだった大学を「自主卒業」することにして、
しばし映画・演劇など志向で、半ば風っていたころ、
6年在籍するつもりだった大学を「自主卒業」することにして、
しばし映画・演劇など志向で、半ば風っていたころ、
なおかつ関わっていた大学新聞の後輩が、
「学生新聞」を「報道紙から文芸紙に変える」流れとして、
原稿依頼があって、
それをいきなりトップに載せたものが元原稿だが、
原稿依頼があって、
それをいきなりトップに載せたものが元原稿だが、
他の部員全員が「なーんでかわからない」と、
メジャーとしては「無名」の私がトップ原稿なのを不審に思っていると聞いて、
メジャーとしては「無名」の私がトップ原稿なのを不審に思っていると聞いて、
例によって、のくそったれ「偏差チシキジン」カテゴリー、
てめーじゃ判断できないで、
権威評価に追従するアッホーどもにムカついていたところ、
権威評価に追従するアッホーどもにムカついていたところ、
とある芸術評論募集が目に付いたので、
規定枚数に合わせて添削再編して応募したところ採用されたもの。
規定枚数に合わせて添削再編して応募したところ採用されたもの。
その後、
不審分子全員が「わかった」らしいと、
私に依頼した後輩が得意げに知らせてくれた。
そー、お前の目は確かであったぞよ。。
不審分子全員が「わかった」らしいと、
私に依頼した後輩が得意げに知らせてくれた。
そー、お前の目は確かであったぞよ。。
Now後注:てなこって、ココではひとまず冒頭部分3Pのみ。わが「本領」としての「批評」なので、割と読めるよーにしてありやんす。して、このころのわが男女関係を含んだ様々な、有名無名混雑の人間関係の追憶話はいずれのこととして…すかす、コレもたまたま「文学」とやらの世界にウンザリしつつの延長上の、例によって「不意の流れ」であった。。