「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

ブログです。姉妹ブログsへのリンクはサイドバーの一番下にあります。。

わが「プロ著作」歴の(2)-24-25才の秋冬春・・■[なぜ<表現>なのか]■

「批評」が初めてになった日-まさか「芸術論」とは・・
(放置HPからの転載+α)
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
 
親の事業が崩壊し、ひとまずは大学をどうするか
 
4年の正月から半年ほど考えているあいだに、
虫プロがCFディレクターを募集していたので、
おぉ、と、手塚治虫漫画ファンとしては願ってもねー、
 
と応募したところ、採用されたので、
6年在籍するつもりだった大学を「自主卒業」することにして、
しばし映画・演劇など志向で、半ば風っていたころ、
 
なおかつ関わっていた大学新聞の後輩が、
 
すでに「学生セミプロ小説家」でありつつ、
映画・演劇活動に輪を拡げ、
「超人気作家」を学生新聞の文芸企画に呼び寄せ、
「イモ大文学」の学生編集委員として、
・・アレコレ「活躍」していた私に、

 
「学生新聞」を「報道紙から文芸紙に変える」流れとして、
原稿依頼があって、
それをいきなりトップに載せたものが元原稿だが、
 
他の部員全員が「なーんでかわからない」と、
メジャーとしては「無名」の私がトップ原稿なのを不審に思っていると聞いて、
 
例によって、のくそったれ「偏差チシキジン」カテゴリー、
 
てめーじゃ判断できないで、
権威評価に追従するアッホーどもにムカついていたところ、
 
とある芸術評論募集が目に付いたので、
規定枚数に合わせて添削再編して応募したところ採用されたもの。
 
その後、
不審分子全員が「わかった」らしいと、
私に依頼した後輩が得意げに知らせてくれた。
そー、お前の目は確かであったぞよ。。
 
 
Now後注:てなこって、ココではひとまず冒頭部分3Pのみ。わが「本領」としての「批評」なので、割と読めるよーにしてありやんす。して、このころのわが男女関係を含んだ様々な、有名無名混雑の人間関係の追憶話はいずれのこととして…すかす、コレもたまたま「文学」とやらの世界にウンザリしつつの延長上の、例によって「不意の流れ」であった。。