「政治」をやりたがる連中の性質(たち)とは
もともとは、
「政治」ってーのは、
「神託」を受けることが前提で、
「政治」ってーのは、
「神託」を受けることが前提で、
さて、
その「神」ってーのが、
「一神」なのか「多神」なのか・・と、
その「神」ってーのが、
「一神」なのか「多神」なのか・・と、
つまり、
「神々」にも位階がありつつ、
なのか、
「一神」以外は「神でもないのに神ぶり存在」なのか、
「神々」にも位階がありつつ、
なのか、
「一神」以外は「神でもないのに神ぶり存在」なのか、
ないしは、
「神」は単に「猿族霊長類」が「進化」しただけの存在なのか、
「神」は単に「猿族霊長類」が「進化」しただけの存在なのか、
あるいは、
「大宇宙」の「虚空」に浮かんでるちーちゃな星のレベルでは、
論理的には成立しない、
「大宇宙」の「虚空」に浮かんでるちーちゃな星のレベルでは、
論理的には成立しない、
にもかかわらず、
概念としては未だに「存在」しつづけている、
概念としては未だに「存在」しつづけている、
のだが、
「民主主義」近代の流れとともに、
「政治経済」は「神」とは無縁となって、
「政治経済」は「神」とは無縁となって、
「神」や「仏」は個人の勝手でしょーーになって、
しかし代々の「神仏信仰」の「公共利権」は残りつつ、
しかし代々の「神仏信仰」の「公共利権」は残りつつ、
・・・
して、
国を治め民を助ける「政治経済」は、
むしろ「欲望経済政治」になりつつ、
当たり前に、
生まれつきの地盤・看板・鞄所有の不平等、
を前提としつつ、
国を治め民を助ける「政治経済」は、
むしろ「欲望経済政治」になりつつ、
当たり前に、
生まれつきの地盤・看板・鞄所有の不平等、
を前提としつつ、
一介の「馬の骨」であったとしても、
卑屈と、やはり生まれつきの「不平等得」を用いつつ、
卑屈と、やはり生まれつきの「不平等得」を用いつつ、
隅から隅までずずーずいと、
どーやって「自己主張」をスルかの「億家争鳴」・・
どーやって「自己主張」をスルかの「億家争鳴」・・
・・てなこって、
ひとまずは「卑屈度」と「損得度」の計算を凌いだモノが、
ソレを「自らの栄光」の必然と位置づけえたモノが、
ソレを「自らの栄光」の必然と位置づけえたモノが、
つまり、
「精神的には死んだ」哀れな状態が、
「近現代政治」をやりたがるための絶対条件でRRR。。
「精神的には死んだ」哀れな状態が、
「近現代政治」をやりたがるための絶対条件でRRR。。
では近現代の政治経済はどーすればよいのか・・・以降はマタ後日。。