「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮元祖1)

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マイナー編集者の功績-わがデビューに続く批評文■「なぜ<美・術>なのか」■

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小3の時の図画で、府下一位の「金賞」を貰ったとはいえ、
(この「偶然」については後日また述べる。。)
もともと、いわゆる「美術」の専門でもない私が、
美術誌からデビューしたのは、
まさに「偶然」であったと言うほかはない。

経過は先に述べたとおりだが、
もともとの原稿は、いわゆる「表現論」「存在論」のジャンルであり、
別段にアートを意識していたわけではない。
 
ただ、これもまた「偶然」に関わった大学文学誌で、
いわゆる「文学」の現状を、
例えば映画・演劇空間を含めた概念として、
例えば「文芸批評」を、
「哲学」や「科学」を含んだ、
「人間現象」として再構成しようと意気込んでいた、
 
その延長で、
当時の「概念アート」との接点を持っており、

 
ただしかし、
「喋りすぎ」の「アーチスト」の蔓延にうんざりしつつ、
「表現」という普遍性から「美」と「術」を捉えなおそうとした、
これがデビュー文に続くこの論述である。
 
下世話な視点から言えば、
とある下世話な「作家」連中の原因による下世話なトラブルで、
いわゆる「文壇」なるものの、
やはり下世話な次元の編集者連中からも締め出され、
別段に、
下世話に卑屈にその場所へと入れてもらいたくもないのであっさり遠ざかったが、
いわゆる「美壇」もまたまた「学壇」との連繋で下世話な次元で動いており、
実際、当時の編集者2人が一応は「変人」のうちだったために、
しばしはわが論述が掲載され続けた、という流れである。
 
 
ただし、念のために言えば、
なぜか、わが「読者人気」は高かったのである。
 
にもかかわらず、
本誌以外の、出版能力不足のためにその会社が傾いて、
稿料支払いを無断で勝手延期したことへ、
新人の分際でクレームをつけたために、
雑誌自体は3万部近くで黒字、わが人気もあるってのに、
2年後、
ここでもまた日本的「生意気」感情論の結末が待っていた…。
その出版社は持ちビルを売るハメになったのでR。。

 
さて、
「表現-美」が、「具象ではない抽象」の、
の、
 
あえて「経済秩序」をはぐらかす、
実はソレが近現代の、
経国美談」でアルことを、あらねばならぬことを、しかナイことを、

 
分かるかなー・・???
 
25-6才、
バカ親父が「客死」する(このフシギ件も後日)1-2年前のコトであった。。