わが家の「文明開化」とAkemiちゅわん
六畳一間のアパを脱出して、
3DKの借家へ移ったのは小6の夏休みの始まりとともにであった。
3DKの借家へ移ったのは小6の夏休みの始まりとともにであった。
それまでの、共同炊事場・水道・便所、
むろんガスなし、フロなし、七輪と火鉢・・・の生活が、
むろんガスなし、フロなし、七輪と火鉢・・・の生活が、
台所はムロン、ガス、フロ、トイレ、名ばかりの「箱庭」つき、
ついでに冷蔵庫・TV・掃除機・扇風機、にバーベキューコンロ・・
ほかあれこれの「電化文明」が一夜にしてやってきた。
ついでに冷蔵庫・TV・掃除機・扇風機、にバーベキューコンロ・・
ほかあれこれの「電化文明」が一夜にしてやってきた。
言ってみれば、
当時の「平均的・並文明」になったにすぎないのだが、
わが家にとっては、
おぉ! これでやっと「市民」になった、
の感覚であったのでRRR。
当時の「平均的・並文明」になったにすぎないのだが、
わが家にとっては、
おぉ! これでやっと「市民」になった、
の感覚であったのでRRR。
が、
電話については独占公社の横着ぼったくり仕事で、
申し込んでから一年余まで待たされた、ので、
まだまだ市民とはいえない、
ついでに欲しい自転車もない、
電話については独占公社の横着ぼったくり仕事で、
申し込んでから一年余まで待たされた、ので、
まだまだ市民とはいえない、
ついでに欲しい自転車もない、
・・ので、
徒歩が基本の「下層市民」であったが、
何はともあれ贅沢は敵、とはいえなぜかカメラはあって、
徒歩が基本の「下層市民」であったが、
何はともあれ贅沢は敵、とはいえなぜかカメラはあって、
グラブやバットにボールなども買ってくれて、
転校先のクラス全員に鉛筆セットを配って、
いちおうそれなりの「並小市民」とあいなった。。
転校先のクラス全員に鉛筆セットを配って、
いちおうそれなりの「並小市民」とあいなった。。
で、
親同士は挨拶済みだが、
ぼくラはお向かい事情をよく知らナイ。
親同士は挨拶済みだが、
ぼくラはお向かい事情をよく知らナイ。
で、越して間もないある日、
お向かいの庭でその「主人」が水まきをしてる・・
お向かいの庭でその「主人」が水まきをしてる・・
ん!?
ぜったいにマチガイなぃ!
TVのCMのアノたれんとだべサ!
と、あちしは確信して、「**ちゃん!?」と言ってみた、
ら、
カレがCMどおりのポーズをしてくれたので、
わはは! と即、仲良くなったノデアル。
ぜったいにマチガイなぃ!
TVのCMのアノたれんとだべサ!
と、あちしは確信して、「**ちゃん!?」と言ってみた、
ら、
カレがCMどおりのポーズをしてくれたので、
わはは! と即、仲良くなったノデアル。
それが緩和剤になったともいえるが、
まだまだ「売り出し中、駆け出し」のタレントにとって、
気づいてくれた相手に嬉しかった、
その家族にとっても、
(当然に見栄張りのわがバカ親は「子の優等」も吹聴シテルとゆー前提で)
あちしの芸能好きアホ感覚に和んだ、
その後、特に若奥サマはあちしを好いてくれた・・
まだまだ「売り出し中、駆け出し」のタレントにとって、
気づいてくれた相手に嬉しかった、
その家族にとっても、
(当然に見栄張りのわがバカ親は「子の優等」も吹聴シテルとゆー前提で)
あちしの芸能好きアホ感覚に和んだ、
その後、特に若奥サマはあちしを好いてくれた・・
とゆー経緯のなかで、
すかす、
Akemiちゅわんとの「出逢い」は、
親父が持ってきたタロがきっかけだったと想う。。
Akemiちゅわんとの「出逢い」は、
親父が持ってきたタロがきっかけだったと想う。。
10歳の女の子、
なかなかの「年頃」なので、・・・
なかなかの「年頃」なので、・・・
・・動物ってーのはそーゆー「かすがい」でありうる、
あちしがせっせとタロを躾けたり遊んだりしてる、
その犬を目的に近づくのは自然であるので、
ソコから出逢いは始まった。。
あちしがせっせとタロを躾けたり遊んだりしてる、
その犬を目的に近づくのは自然であるので、
ソコから出逢いは始まった。。
して、
先のわがバカ親の見栄吹聴が事実でアルことは、
タロを介して「出遭った」あとまもなく、
Akemiちゅわんがドリルやらもんだいしゅーやらを抱え、
あちしに夏休みの宿題をおせーてほしーと押しかけた、
それで証明されたのだが、
先のわがバカ親の見栄吹聴が事実でアルことは、
タロを介して「出遭った」あとまもなく、
Akemiちゅわんがドリルやらもんだいしゅーやらを抱え、
あちしに夏休みの宿題をおせーてほしーと押しかけた、
それで証明されたのだが、
・・・あちこち「真っ白」だらけ・・
にもかかわらず、悪びれず、
あちしに接近して来つづけたのは、
わが家の「文明開化」とともに生じた、
ある種「未知の女の子」との遭遇であった。。
にもかかわらず、悪びれず、
あちしに接近して来つづけたのは、
わが家の「文明開化」とともに生じた、
ある種「未知の女の子」との遭遇であった。。
つづく。